参加するということ

 
 隠れ円楽ですこです。
 
 昨日のお題系、沢山の書き込みありがとうございました。
 あの場合、猫しか写っていないので面白い回答は案外難しいのです。なにか他のモノも写っていて、ある程度のシチュエーションを想起させる画像であれば回答は案外簡単なのです。
 ですからこの場合の回答は「シチュエーションを想起させればよい」のですが、文体が長いと説明臭くなって冷めてしまいますので、なるべく簡潔かつ意味深な方が面白くなりましょう。
 しかもソレは最大限にポピュラーでなくてはなりません。それはとても難しい、詩と同じくらい難しいのです。かといってパロディでは安易でしょう。
 ビートルズ谷川俊太郎松本人志は、わたしが最も尊敬する人たちであります。より多くの人を乗せ、感動させ、笑わせることが出来た彼らは、本物の天才だと思います。
 これからも「お題系」は続けていきますので(ネタは腐るほどあるゼ)、お暇な方は参加してみて下さい。思いの外、己のチカラの無さがわかることでしょう。
 
 参加者よりも傍観者の方がずっと多いのが、企画モノの常であります。しかしながら、傍観して嘲笑するよりも、参加したあとで赤面する方が、わたしは有意義な事だと思います。
 なぜならそれは露呈であり、ほんの少しでもある種の肉体性(能動性)が伴っているからです。
 水前寺清子じゃありませんが、楽しみは決して向こうからはやってきません。あなたの嘲笑はいつか、だれかに爆笑されるのです。でなければ自嘲を繰り返すことでしょう。
 
 しゃべり過ぎた夜の後悔は、世界の糧なのかも知れないぜ。
 
 わたしは参加者を愛しています。もちろん、参加者以外も、ね! ……ニャンちゃって!