花と唾

 
 世間では三連休などと浮かれているようですが、休みは今日だけのですこです。嗚呼、メキシコ人になりてえ。シエスタしてえ。でも南米は危険ですよ。関係ないけど、世界における一年間の殺人発生率(十万人あたり)を書いてみましょう。
南アフリカ=75.3
・コロンビア=64.6
・メキシコ =17.5
・日本   = 0.6

 南アフリカとコロンビアがいかに図抜けて危険な国であり、日本がいかに安全な国であるかがおわかり頂けるでしょう。白人支配地域である南アフリカはちょっと特殊ですね。
 そういえば、友人の知人がコロンビアで遺体となって発見されたのも今年で、誰が造ったのかも判らない簡単なお墓に入っていたそうです。刺青を彫っていたので身元判明は早かったとか。無論、死因はおろか、殺人だとしても犯人もわかりません。
 そういえば、知人が山賊に襲われたのもアルゼンチンでした。襲われたらすぐに両手で自分の顔を覆って「私は決してあなたの顔を見ていません」とジェスチャーで意思表示をしなければ、殺されてしまいます。
 もっとも、中東近辺の死者の方がよっぽど多いのでしょうが、戦死が殺人と認められないのは世の常であります。
 
 土曜、仕事を早く切り上げて母の使いで実家に出向く。筆ペンと熨斗袋を引き出しから取りだしていると、S一郎から電話が来て「俺もお見舞いに行こうかな」と言う。グッド・タイミングだった。
 十五時半、S一郎の足下が四人部屋の病室のカーテン越しに見えた。カーテンが開くと花束を持っていて、それを見たぼくは「嗚呼、やっぱりこいつは育ちがいいな」と思ったんだった。大抵の場合、お見舞いにくる人は食べ物を持ってくる。
「花瓶、ないんだよなぁ」と言うと、母は「それ使いなさい」と言う。
 ぼくは500mlのペットボトルに入ったミネラルウォーターを飲んでいた。手に持っているボトルを見ながら思案した――「おいおい、花にミネラルウォーターを遣るつもりか?」。
 ぼくはどうやら母を見くびっていたらしく、飲み終わったあとにハサミでボトルを切って簡易花瓶にしなさい、ということだった。「なるほど!」と、ぼくは心の膝小僧を掌で叩いたんだった。
 
 その後、S一郎を車に乗せて我が家で呑み上げることにする。ビール(正確には発泡酒だが)を買い込んでピザをとる。ハット、ドミノ、ピザーラetc. 色々と試したが、ぼくらの舌にはピザハットが一番合うようだ。
 今やハットのお偉いさんに“成り上がった”M田曰く――「パンピザはヤバい。もの凄い量の油が練り込んである」。そして半ば逆ギレしつつ「あんなのぜんぶ冷凍だからね!」とも言った。
 それでも、パンピザを、注文した。
 無類のじゃがいも好きであるS一郎は〈山盛りポテト〉がお気に入りのようだ。
 男は、じゃがいもは好きだけどさつまいもとカボチャには萌えないよなー、などと話していると、「好き嫌いが多いヤツってむかつくよなー」と意気投合する。
 ぼくはあまり好き嫌いはない方だが、唯一だめなのは飯寿司だ。〈なれずし〉とも呼ばれる、あの恐るべき発酵が忌まわしい。味よりも、本能的に生命の危険を察知してしまう。
 ボツリヌス菌という最強の毒素(500gで全人類を滅ぼす事が出来る)がここから発生するのかと思うと、〈食〉の意味が本末転倒であると即座に決断する。同じく辛子蓮根もめんたいこも、ぼくはなるべく食べないことにしている。南国は好きだが、南国の発酵食品はとても怖ろしい。発酵食品は保存のために行われてきた人類の叡智の一つだが、一年中安定した気候で、豊潤な作物が採れる南国が、発酵食品を作る意味がわからない。
 しかしながら、発酵食品を摂取する際に、ある種の快感が伴うことはぼくもわかっている。肝試し的な要素もあるが、代表的なのはアルコールだ。
 でんぷんが糖に変わる時に生ずる副産物がアルコールである。古代、いや現代でも未開の地では原始的な酒造りは行われている。トウモロコシを口に含みそれを樽に吐き出し、時間をおけば酒ができあがる。唾液がでんぷんを分解することは、古代から知られていた。そして酒は儀式、あるいはもてなしに使われてきた。自分ひとり分の酒を独りで造るのではなく、みんなで造った酒を共有するのである。それは唾液の共有でもある。みんなの唾をみんなで呑むことで、打ち解ける。酒宴の時に、上層部に唾を吐くような物言いをするサラリーマンは、じつは原始的なのだ。
 ここまで読んで頬の唾液腺が刺激されたあなたは、正しい。
 
 月曜、お見舞いに出向く。
 こないだ持ってきた熨斗袋と筆ペンを持ってロビーに連れて行かれる(いや、車椅子を押してるのはぼくだ!)。
 母がなにをしたためているのかと云えば、知人宛のお見舞いや香典だった。
「あんたの方が重いんだからお見舞いは要らねえだろ」と言うと、「そういうことじゃないのよ」と一蹴された。
 全てを書き終えて病室に戻ると、花がないことに気づいた。
「あれ? 花は?」
「ペットボトルだと不安定で、何回も倒しちゃったの」
「で、どこにあるんだ?」
「ロビーで共有することにしたの」
 
 帰り際、ロビーにあるテレビの近くに、花瓶はあった。
 リノリウムに拮抗しているその香りは、なんだかちょっとだけ酒の匂いがした。