痒痛日記

 
 ミミクリンで臍掃除をしているうちに段々と濁ってきた、継ぎ足しですこです。
 
 昨日の晩御飯で血の滴る牛肉をかっ喰らった罰なのだろうか、蚊に刺された。
 まず右足中指の先に痒みを感じた。爪の生え際の皮膚がつるつるした辺りがやたらと痒い。爪でぎゅっとつまむように掻いていると、今度は左足太ももの内側が痒み始めた。手でなぞると起伏がある。電気を点けて蚊を探そうと思ったが、眠かったのでぽりぽり掻きながら身をよじることにとどめた。それに、痒いところを掻いているときって、堪らなく気持ちがいい。
 小学生の頃、遠足のときに触った漆に負けたことがある。漆がついた手で触ったのだろう、ぼくの右目は腫れ上がり、強烈な痒みを覚えた。瞼をつまんで、消しゴムの滓をこねる要領でむにむにやっているのがとても気持ちよかった。そうしているうちにかぶれた箇所から汁が出てきて、被害は拡がった。先生は「ですこくん! 絶対に掻いちゃだめよ!」と言って、ぼくが右手を顔に持っていくと「こら!」と怒号を飛ばした。
 あれは体育の授業のときで、生徒は地べたに座り、先生はホワイトボードになにやら書き込んでいた。体育座りのぼくの目の前には丸い膝があり、まだ小さい皿は眼窩にフィットしそうに思えた。
 先生がホワイトボードに書いている隙を見計らって、両手で脛を抱えたまま眼窩を膝小僧に当ててぐりぐりと擦りつける。当時はジャージ素材の過渡期だったのだろうか、ぼくの黒いアシックスは皺だらけの垢擦りみたいな材質だった。両手を塞がれた状態で掻くにはうってつけの素材で、ぼくは狂ったインコのように、首をもたげて眼窩を膝頭に擦りつけた。ぼろぼろと剥げ落ちた古い皮膚は、黒いジャージに大量に付着していて、頭を掻きむしってこぼれたフケを下敷きでもって机の上集めて“フケ山”をこしらえる、不潔な同級生を想い出した。
「さあ、じゃあですこくん!」と先生が声を上げた。ぼくは立ち上がる。先生が指した先には跳び箱があり、さっきの説明通りに飛びなさい、と言われて前に出ると、先生は顔色を変えて、ぼくの肩を掴んで保健室へ連れて行った。
 鏡を見て唖然とした。顔面の右側が血みどろだった。
 
 摩擦によって得られる性的快感と、痒みの悶絶は似ている。
 やめたくてもやめられなくて、出血したってやってしまうところも。
 第三者に叱られ、箱庭を飛び超えてこそ得られる快感も。
 蚊は、莫迦だ。ひとたび刺激があれば、ダムのようにお目当ての血液が一気呵成に充満する亀頭を刺せばよかったものを!――もっとも、ぼくの場合は強固で柔軟な鎧を纏っているのだが。
 


 
 昨日の日記で佐川くんのことを書いて、あるカニバリストを想い出した。
 ヨアヒム・クロルという人物で、他のカニバリストとは違って、純粋に食費を浮かせるために人肉を食べていたという、希有な“節約家”だ。コリン・ウィルソンの〈現代殺人百科〉などに詳しいが、ググってみるとヒットしたのでリンクを貼っておきます(書く手間が省けて嬉しい)。
JOACHIM KROLL
 
 
 ぼくは今まで、狂気の沙汰や異形なるひとびとに興味があって、そういう本を好んで読んできた。行為よりも動機に興味があり、それは自らを写す鏡ではないのか、と思っていた。ワイドショーでもニュースでも、醜聞や事件があるたびに首を突っ込んでは胸を撫で下ろすのは、その鏡を割っているからだろう。「なんて非道いことを!」「わたしは違う!」「アバズレ!」「人殺し!」――くだらねえ。手垢がべっとりだ。
 
 凶悪なことができるそのパワーの源に興味があったが、最近はあまり関心しない。
 普通であることの不思議こそが、もっとも異端だと考えるようになった。
 誰しもトラウマはあるのに、それでもちゃんと生きていけるひとたちの不思議。
 未だ名付けられていない病理と、その命名を拒否する笑顔と汗の不思議。
 セシュエーの著作も、ロリ・シラーも、ぼくにとっては辺境ではなくなった今となっては、弁当の蓋を開ければオカズがちっこいウインナーが一本だったり、幼い日は牛肉しか喰ったことがなくて、でも父親を嫌悪している友人たちが、それでも普通な友人たちが、見どころのある友人たちこそが、不思議で面白くて、そして眩しい。
 
 ぼくはこう考えるようになった――「すべての人々は、じつは自分を高めたいと思っている」。
 
 いい暮らしも、人並みも、幻想で、ゆえに幻滅する。
「我々は〜」などと代表するつもりはない。
 けれど、ほんとうにいいことを、ぼくの友人たちが知っていることを、ぼくは勝手に知っている。
 不完全なのは当然で、この世界を創ったとされている神の詰めの甘さを、いったい誰が責めることができようか。
 そこの隙間にある普通さこそがほんとうの辺境だ、とぼくは考えるようになった。
 そして、それは、常に“新しい”。
 
 さて、チンコ掻こうカナ。