北国日記

 
 観光Guided By Voices、ですこです。
 
 最近「ナルコレプシーか!」と思うくらい眠くて眠くて仕方がござんせん。冬季性鬱病かとも思ったんですが、じつは原因がはっきりしているんです。酒量を減らしたのもそうですが、諸悪の根元はポータブル石油ファンヒーターだと確信しています。要は軽い一酸化炭素中毒状態である、と。にもかかわらず、なぜぼくが生存しているのかと申しますと、おそらくは隙間風による換気が自動的に行われているからだと思います。縄文式住居ライクなんです。
 思い切って窓を開けて換気をすると、今度は室温が急激に下がるというマッチポンプ現象が生じるので冬期間は滅多に窓を開けませんし、更にヘビースモーカーなので我が家は大変なことになっています。夏場の夜、一匹の羽虫が部屋に進入してきたんですが、くるくると墜落して勝手に死んでいきました。
 しかしながらこういった劣悪な環境で生活することの利点もありまして、それは「風邪をひかない」ということに尽きます。環境によって徐々に抵抗力がついて高い順応性を発揮する、ボウフラの原理です。その存在自体が忌諱されるところもよく似ています。
 思えば実家暮らしの頃はよく風邪をひいていました。本州の人間に言わせると「北海道の室内は暑すぎる!」らしく、実際部屋着がTシャツだったりします。子供の頃は睫毛や鼻水を凍らせて冬と戯れたんですけど、大人になると冬そのものに接する機会が激減します。
 車を持てばヒーターが効いた車内は暖かいわけですから、家から車、車から目的の場所と、冬に接する時間はほんの数分です。公共交通機関を使って通勤する人も、せいぜい駅から15分くらいのものです。つまり、現代人にとって冬に接するのは自ら好んで行くスキー等のレジャーだけで、「北国の冬は厳しいぞぉ?」などという言辞はデキの悪いお化け屋敷のアルバイトが発する「ヒュードロドロ」とおんなじです。ほとんどの厳冬は窓の向こうです。つまり、ぼくのような人間が最も冬をエンジョイしていると申せましょう。
 ただ、除雪が辛い。雪が軽い分、肉体的には穴掘りに比べると遙かに楽ですが、連続で大雪が降った時の「またか!」というあの諦念こそが、北国に住む人間の気質を形作っているに違いありません。古代から現代まで犯罪者に対する拷問は人間の想像力を実現してきたわけですけど、いちばん精神的に堪えるのは「穴を掘ってあちらに山を作れ」と命令し、それが終わると今度は「その山をあちらに移せ」と繰り返す刑らしく、これでほとんどのスパイは自白を決めるようです。
 そんな拷問に近い毎日を過ごしているのですから、北海道の人間はどこか諦めが早いというか、冷めてるというか、そういった気質があるような気がしますね。外タレのライブでもノリが悪いはずで、一遍の踊り念仏なんかはこの地に根付かないでしょう。それに、「えーい、ま、いっか」がもの凄く多いように思います。ぼくもそうですけどね。それはそれでいいんじゃないかなと思いますけどね。
 来月から雪祭りが始まるんですけど、観光で時間のある人は函館にも行ったほうがいいと思います。札幌はラーメンとジンギスカンで止めて、海鮮は函館のほうがいいでしょう。あっちは気温も高く雪が少ないので緯度を体感できるし、なによりキャバクラが面白いんですよ。旭川に次ぐ第三の都市ですけど、やっぱり垢抜けていなくて、強い訛りも手伝ってどこかほっこりしていて、それが楽しいんです。ぼくは函館に親戚もいて、函館出身の娘と付き合ったこともあるんですけど、やっぱりどこかほっこりしてますね。
 キャバクラは早めに切り上げて、翌朝は早起きして市場に行きましょう。観光客目当てのお店で充分です。1300円くらいの海鮮丼(アラ汁つき)とイカ刺しでも頼みましょう。函館のイカは美味しいです。で、早朝から一杯やりましょうよ。
 これは若かりし日の真冬の体験談なんですが、ぼくはファッションでボロッカスのジーンズを穿いて市場を徘徊していたんだけど、乞食かなにかに見えたのか、チャキチャキした市場の男が「おい! にーちゃん寒いだろ! これ喰ってけ!」と茹でたての毛蟹を手渡されて狼狽えました。そういう商法かと思ったんです。一パイ8000円ですよ。「いや、いりません」と言いかけると、「あっちで隠れて喰えよ」とウインクしながらの小声で言われて、併設されていた食堂の隅を顎で合図されました。
 紙皿からはみ出した毛蟹を両手で持って席についてから、悩みましたね。なんというか、自己啓発セミナーや、デート商法にはまった人ってこんな感じなんだろうと思って、毛蟹から立ちあがる湯気を見つめていました。
 すると、奥さんと思わしき女性が「これ使いなさい」と言ってキッチンばさみと蟹の足をほじくる金具(時計のバネ棒外しをふたまわり大きくしたようなやつ)を持ってきたんです。もう、喰うしかないなと思いました。いちおう北海道人なので蟹の食べ方は知ってたけど、少しでも残しちゃやばいぞという、なんというか試験じみた雰囲気だったので貪欲に食べたのです。さっきの奥さんが、さっきの笑顔で「はーい、お会計、10000円」という絵を想像していたんだけど、紙皿を下げに来た奥さんはやっぱりさっきの笑顔で「どう? うまいっしょ?」というだけでした。ははん、なるほど。入り口で蟹を売ってる男を通り過ぎるときに「待ちなよ、にいちゃん。なにか忘れてないか?」と、ぼくの肩を掴む構図なんだろう。
 そのときは、青春十八切符を使って各駅で東京から札幌へ帰るというコンセプトだったので、財布には最低限の金しかありませんでした。いま思えばほんとうに乞食です。毛蟹を平らげたにもかかわらず、ぼくはこう考えていました――「いざとなったらぶん殴って逃げよう」と。もっとも、ぼくはなにも悪いことはしていないのですが、そういう覚悟だけは胸に秘めておきました。
 無言で入り口を通りすぎるのもどうかと思ったので、「ごちそうさまでした」と背後から声を掛けると、男は通り過ぎるぼくの背中を思い切り叩いて「おう!」と言いました。振り返ると、視線を下げて穴だらけのジーンズに一瞥して、ニカッと笑って「頑張れよな!」と言いました。ぼくはジミーよろしく無言で「お前も頑張れよ」と言いました。
 逃げるような早足で店を離れると、さっきの男の威勢のいい声が遠くで聞こえます――「らっしゃいらっしゃい! 毛蟹安いよー!」
 とくに罪悪感を覚えることもなく、歯の間に挟まった蟹肉の繊維をシーシーと吸い出しながら市場を出ようと歩いていると、ぼくと目が合って急に静かになった店先の男性が「おい、にーちゃん。毛蟹喰わしちゃる」と小声で話し掛けてくるんです。憐れみというよりも、そもそも毛蟹は高級品じゃないんだからお前も喰え、というような、そういった雰囲気がありましたね。「いや、さっき喰わせてもらったので」と断ると、「そうか! ワハハハ!」と言ってぼくの背中を思い切り叩いたのです。
 市場を出ても、彼らの声はうっすらと聞こえましたが、背中のジンジンが止む頃には彼らの声も途絶えました。
 ですから、観光の人はボロッカスのジーンズを穿いて行けばいいんです。いまではリメイクジーンズもたくさん発売されているので、選択の自由がありますよね。アンダーカバーやM.W.O.B.H.M.がいいんじゃないですか。もっとも、それらを買うのなら毛蟹を10パイ食べられますけど。
 函館、面白いです。まじお勧め。