満点は零点である

 
 ちょっと想い出したので書いておきます。もちろんくだらないことです。
 今年の正月辺りに、浜ちゃんが司会でやってる「一流芸能人を決めよう!」みたいな番組がありまして、それを見ていて気づいたことがあるんです。
 番組の内容は、たとえば数十万円のワインと3000円のワインを飲み比べたりする、所謂ブラインドテストみたいなものでした。
 次に行われたテストは、数億円のバイオリンと数万円のバイオリンの演奏を聴き当てるというものでした。視聴者は利きワインには参加できませんが、聴覚テストならなんとか参加できると思いテレビに集中しました。
 ソロではなく、確か四重奏だったと思いますが、音の違いはわかってもどちらが億単位の楽器なのかは判別不可能でした。芸能人たちは「力強い」「艶が違う」などと宣っていましたが、嘘をつけと思いました。
 奏者が映っていないし、何度か繰り返し再生されていたので、録音したものだと思われました。察するに、奏者はどこかの交響楽団の人たちだと思われ、いくら彼らの演奏が巧くとも、数億円の楽器を所有しているとは考えにくいと推測します。もし所有者が演奏していたのなら、そこそこ名の知れている本人を起用し、テレビに出演したはずです。
 そうなりますと、奏者たちは憧れの楽器をおそるおそる弾いている、という図が浮かびます。反面、安い方の楽器は「ケッ! ビギナー用かよ」などと吐き捨て、伸び伸び弾けるはずです。
 つまり正解は、音が荒くて、下手くそな方を選べばいいというわけです。事実、下手くそな方が高価な楽器でした。音そのものだけで判別できた人は、まぐれだと思います。
 たとえば一流のソムリエなどは、おそらく香っただけで脳裡にその産地の風景が浮かぶのではないでしょうか。なぜこの味ができたのかをひたすら考えているはずで、それは味覚だけには留まらず、樽の材や気候、ひいてはその土地の民族性までをも包括して思索するのではないでしょうか。
 だからって、べつにソムリエを尊敬しませんけどね。どうでもいいです、そんなこと。
 
 そんな三流中年の夕食は――
 


粗食ブームなんです。