実家がなけりゃ作っちまえばいい

 
 某日、スタンドに頼むと2時間待ちとかなので、ちんまい車載ジャッキを使って黙々とガレージにてタイヤ交換。壁ギリギリまで寄せて、まずは右の前後から。こなれてきた。ちなみに、ボルトを締めるときに体重を掛けてレンチに乗っかってしまう人がいるが、軸が折れちゃうのでやめた方がいい。それほど激烈に締めなくとも、走っているうちに車輪の回転によって締まってくれる仕組みになっている。
 次に左側を交換しようとすると、ガレージの壁が水で濡れていることに気づいた。雨漏りかと思ったが、ガレージ内には二本の配管が通っており、その内の一本のL字の部分から水が漏れているようだった。急いでタイヤ交換を済ませて、車を外に出し、配管をチェックしてみる。やはりポタポタと水が漏れている。
 部屋に戻り、台所の水を出しっぱなしにして再度ガレージに戻る。水の流れている音はするが、L字の方ではなくもう一本の配管を流れているようだった。もう一度部屋に戻って台所の水を止めて、今度は風呂場の水を出しっぱなしにしてガレージに入る。どうやら台所と同じ配管を通っているようだ。L字の配管は我が家のではなく、上階の家の配管だと思われた。念のため、今度はトイレの水を流してからガレージに行くと、L字の配管から水が漏れているではないか。それも駄々漏れである。しかしイマイチ信じ切れないので、再度やってみると、完全に我が家のトイレの排水が、我がガレージに漏れている。
 部屋に戻って煙草に火を点ける。なにか儀式が必要だった、できれば行水以外の。
 大家に電話を掛ける。
「カオスコスモス20号室在住のですこと申しますが」
「アラ、コンニチワ」
「ガレージを通っている配管から排水が漏れているのです」
「エッ!?」
「それも結構な勢いで」
「そりゃ大変ダワサ!」
「しかもトイレの……トイレのみがである!」
「いま行きますワ!」
 数分後、大家――正確には大家の奥さんがタイヤの潰れた自転車に乗ってやってきた。L字の配管から水が漏れていることを確認させていると、天井が黒ずんでいることに気が付いた。おそらく繋ぎ目ではなく、根元から漏れていることが予測された。それはつまり、水が天井裏に浸透していることを意味していた。ぼくたちは低い天井を見つめながら同じことを考えていた――「まさかうんこが天井裏に」と。もしそうならいったい誰が後始末をするんだい、と。
 目が合った。肛門がムズムズした。
 大家モドキは大家に電話を掛けて、業者を手配した様子だった。そしてこう言った――「2時間後に業者が来るのでそれまではトイレを控えて下さい」
 不思議なもので、してはいけないと言われると膀胱がなおさら疼く。ズボンをズリ下げて、洗面台に放尿する。温かいアンモニアの湯気が顔面を包み込み、鏡を曇らせた。小さな背徳感のせいで、思わずフッフッフッと嘲笑う。洗面台を洗わなければならない未来の自分すら滑稽で可笑しい。ハハハハ!
 チャイムが鳴って、大家と業者が来る。業者はヒッコリーのツナギを纏った好青年だった。
「うん、空けちゃおう!」と大家が言って、業者は石膏ボードの天井にバールを突き刺した。ぼくはうんこが落ちてこないだろうかとハラハラしつつ、強い羞恥心を感じていた。不思議だ。ぼくはなにも悪いことはしていないし、むしろ立場的には頂点なのに、そこでの力関係では完全に最下位だった。これは所謂「シモの問題」の本質であると思われた。
 めくられた天井裏から出てきたのは、大量のグラスウールだった。うんこは見当たらず、ウールが湿っているだけだったが、それだって排泄物が染みこんでいることには変わりなく、それを布の軍手で掴んでいる業者を見て、やはり羞恥心と罪悪感を覚えていると、大家が「ここの天井は通常の二倍のグラスウールを入れているからね! ハハハ!」と言って誇らしげにぼくを見やったので、少し殺意を覚えたが、もしここで殺してしまったらうんこ逆ギレ殺人事件になってしまうと考えていると、急速に萎えてしまい、やはり羞恥心だけが居残った。
 水漏れの原因は、便器から勢いよく流れる排水が長いあいだL字管の角に上から当たり徐々に弛んでいったというもので、幸いなことにうんこが飛び出せ青春するほどの隙間はなかったようだった。
 取り敢えず応急処置を施したので普通に使用できます、と聞いてすぐに便意を催した。便座の上で、排泄物の行方についてしばし思案した。マルタン・モネスティエ、ジョン・G・ポークetc.……ケツ論は「ニッポン万歳!」だった。日本人は大昔から、とても清ケツなのです(それもうやめろ)。
 
 某日、実家の引っ越し。立会人から電話がきて「早く来て下さいっ!」と叱られる。かつてM田から支笏湖土産で貰った超絶的にダサイ灰皿を取り出して一服していると、立会人と叔母が同時に来訪……まさかデキてるんじゃあるまいな。
 書類等に書き込んでいると、引っ越し業者がやってきた。総勢約十名、荷造りから不要物の廃棄まで依頼するスペシャルコースなので、高みの見物を決め込んでいると、業者の年齢層がやけに高いことに気づく。そのせいか、作業がめちゃくちゃに早くて約二時間で終了し、ガランとした実家で叔母と二人で黄昏れる。生まれてこのかた叔母と二人きりというシチュエーションはなかったが、不思議と違和感はなく、「車で送って行くよ」などと柄にもない台詞を吐いてしまう。
 帰りにスーパーへ寄って、食材とビールを買い込み、仕込む。食べ物はこっちで用意するから君は酒を頼む、と伝えた伽藍堂は500mlのビールをケースで抱えてやって来た。潜入ルポのようなディープな話を聞きつつ、CDが散乱し、散会はやはり丑三つ時。
 ベッドに入ると、涙腺が音を立てて崩れてゆくのがわかった。涙をドボドボ流しながら、配管業者の名刺を貰わなかったことに後悔しつつ、まだ泣ける自分が嬉しかった。十年ぶりの涙だった。これであと十年は泣かなくて済む。