死のスメル

 
 ぜんじろうが出来損ないのミイラに見えるですこです。
 一般的にミイラと云えば死体の保存にありますが、或るインドの苦行僧の最高に位置する『グル』は、時が来ると自ら進んで穴ぐらに入り即身成仏、つまりセルフミイラとなるそうです。穴ぐらの中で飲まず食わずで、肉体が朽ちてゆくままに身をまかせるんです。別れを惜しむ弟子達に対して「じゃ、行ってくるぜ。バチン(ウインク」と言ったとか言わなかったとか。こういったナイスガイにはむしろ生きていて欲しいのですが、断食という最高度の自殺は誰も止められますまい。
 むかし、日本でも断食自殺はありました。母と娘二人の計三人が市営住宅内で衰弱死していたのです。死体の周りには沢山の食べ物がありましたが、一切手はつけられていませんでした。この一家がとてつもない貧乏だった事からも、この死に方は世間へのメッセージだと思えます。圧倒的な絶望の前で強固な意志を表明する、もはや宗教です。
 最も有名な断食自殺は、山口判事餓死事件でしょう。戦後、ヤミ米が横行する中「判事たるものヤミ米を食してどうして人を裁けようか」と、頑なに食を拒み続けついに餓死を“成し遂げた”のです。なんたる判事根性だろうか。こういう人こそ生きるべきなのに死んでしまうというのは、いつの世も同じか。こういった死が活かされないのも…。
 死へ対して強固な意志を持っている人を諭す事は如何に難しいか、諭す権利すらないのかも知れません。どうやら自殺するまで生きるより選択肢はないようです。
 
 なんでしょう、書いているうちに無性にスルメが食べたくなってきました。イカ千本♪イッカ千本♪