パラダイス

 
 雑記を書いているうちに面白くなってきて長文創作ですこです。許せ。
 
 
TENGA》という商品をご存じでしょうか?
 

 
 写真を見る限り男性用の整髪料に見えますが、じつは『オナホール』なんです。
 商品名も「ディープ・スロートカップ」「ローリング・ヘッド・カップ」などと、いかにもなネーミングです。価格はオープンですが、一つ800円ほどでしょうか。使い捨てですから、いちオナニーにつきチャーシューメン一杯分のお金が掛かる計算です。いちオナニーで消費されるカロリーはチャーシューメンよりは少ないはずですので(やり方にもよりますが)、同じ800円を遣うのならTENGAを買って自慰に励む方がダイエット向きと云えましょう。
 こういったカップ系のオナホールは大抵の場合は使い捨てですが、例えばエロ系が充実しているレンタルビデオ店のレジ脇にある300円程度のカップを買って(スーパーで梅ガムを買うような気軽さで)、一度きりで捨てる人は稀なのかも知れません。
 
 そのカップはプラスティック製の筒に、食器洗い用のスポンジの柔らかい凹凸がある方を内側に筒状に丸められていて、ラベルにはチープな南国調デザインで『パラダイス』と書かれていました。
 帰り道、ビデオと一緒の袋に入ったパラダイスを、待ちきれず開けてみました。ぼくはちょっと心配していたのです――「ローションが入っていなかったら、これは単なるポコチン洗い機だぞ」と。信号待ちの間、スポンジに指を入れて、抜き、街灯に照らされた引いた糸を見ながら思わず笑みがこぼれます。ぬめりはズボンの腿でぬぐいました。
 
 チャイムを押すと「おかえりー」と、彼女がドアを開けました。当時、ぼくはクソ狭いワンルームで同棲をしていたのです。
「あのビデオあったー?」
「あったよ。ほい」
 会社帰りに借りてくるよう頼まれた映画は、スティーヴ・ビコという南アフリカ共和国の活動家をモデルとした、デンゼル・ワシントン主演の《遠い夜明け》というシリアスな映画でした。
「じゃあ珈琲を淹れるわ」
 そう言って彼女は手動の豆挽き機でガリガリと音を立てます。ぼくはこの音が嫌いでした。なんせ、やかましいのです。
 布巾が飛んできて、テーブルに着地しました。「拭け」という合図です。四角いテーブルは四角く、円いテーブルは円く拭くのが作法です。
 挽きたての豆で淹れた珈琲と、ボストンベイクのパンケーキを食べながら鑑賞を始めます。彼女はいたって真剣に観ていましたが、ぼくの頭の中はパラダイスで一杯です――「早く終われ!」。お陰で映画の内容はほとんど憶えていません。
 
 およそ二時間ほどで鑑賞を終えました。彼女は特に感動した様子もなく、ツタツタと押し入れに向かいバスタオルを取り出します。
「シャワー浴びてくる」
「お風呂に入りなよ。浴槽はぼくが洗うからさ」
 彼女に長湯をさせて、その隙に《パラダイス》を堪能しようと企んでいたのです。
「今日はシャワーでいいわ」
「あ……そう」
 彼女がシャワーを浴びている間、冷蔵庫を物色しました。今夜の晩ご飯を確かめる為です。物量は少ないものの、それだけにメニューが判るのです。決定的だったのは、台所の上に置いてあったスパゲティの袋でした。彼女はスパゲティの適切な量が判らず、いつもぼくの右手に束の太さを委ねていました。
 冷蔵庫にはタラコがあったので、バターを戸棚の奥に隠します。
 
 浴室のドアが開いて彼女が出てきます。ユニットバスなので、素っ裸のまま出てきて体を拭きます。ぼくは“ムラムラッ”と来ました。でも“ムラッ”の対象は彼女ではなく、パラダイスに対してです。ぼくはスポンジに欲情していました。
 鏡台に座って乳液をパタパタしている彼女の後ろ姿に苛立ちました。
「おなかすいたー!」
 もちろん空腹ではありません。
「はいはい」
 まずお湯を沸かし、湧くまでの間にタラコスパの準備を始めます。スパゲティに限っては、ぼくがアドバイスを添える決まりになっています。実権はぼくが握っています。
「今夜はタラコスパかい?」
「そうよ」
「湯に塩はもっと入れた方がいい」
「これくらい?」
「その倍だ」
「こんなに?」
「麺に塩味を付けてしまうんだ」
「ふうん」
「海苔は?」
「あるわ」
「昆布茶は?」
「あるわ」
 ぼくはニヤけた。
 
「バターは?」
「あるわよ」
「常温で溶かしてからタラコを和えておくべきだったな」
「そうだったわね」
 冷蔵庫を漁る彼女。
 
「……おかしいわ」
「どうした?」
「バターがないの。確か半分くらいあったはずなのに」
「こないだのオムライスで使いきったんじゃない?」
「いいえ。確かに残っていたはずなの」
「じゃあその後に使ったクッキーだよ」
「いいえ。違うわ」
「……(しぶといな)」
「ねぇ、マーガリンじゃダメかしら?」
 ぼくは息を思い切り吸って、力強く言った。
「ダメだ! 絶対ダメだ!」
「……似たようなも」
「バカモン! タラコスパはバターじゃなきゃダメだ!」
「大して違」
「バッキャロゥ! 昆布茶の隠し味が引き立つのもバターという牛の恵みがあってこそダ!」
「……なにをそんなに怒っ」
「いますぐ買ってこーい!」
 
 スーパーまでは徒歩で往復20分はかかる。なんとか遂行できるだろう。
 ベランダのカーテン越しに彼女が坂を上っていくのを確認して、ぼくはパラダイスを開けた。若さ故だろうか、筒を相手に勃起していた。
 挿入してみる。ツルンと入ったその瞬間、しぼんだ。急に我に返ってしまった。おれは一体なにをやっているんだろう? しばらくして抜いた。陰毛を巻き込んで、ただならぬ量のローションが、働き盛りのオニグモのように無数の糸を引いた。コトを終えずに萎んだムスコをぬるま湯ですすぎながら、帰り道の坂を下る彼女に懺悔した。
 
「おかえりー」
 ぼくは満面の笑みを浮かべた。袋はバター以外で膨らんでいた。
「なに買ってきたの?」
「あなたが好きなビールとチーチクよ」
 パラダイスはここにあったのだ。
 
「美味しいわ」
「昆布茶がきいてるだろ?」
「そうかも。美味しい」
 彼女が巻いたスパゲティには、心なしか糸を引いていた。
 
 ベッドをネチャネチャに汚した翌朝、彼女は早番でぼくは休みだった。
「いってらっしゃい」
「いってきます」
 坂を上る彼女をベランダ越しに見送って、戸棚のバターとパラダイスをゴミ箱に放り投げた。