自殺は最高に格好悪くてみじめだ

 
 冬も本格化しつつありキャンタマがクルミ状ですこです。中身には《呑むヨーグルト》が入っております(生々しいわ)。
 

 評論家の呉智英が「イジメで自殺するくらいなら復讐しろ!」とコラムに書いた事が話題になっております。この人は非常に攻撃的かつ知識人で、民主主義も人権保護も単なるイデオローギーだと宣言した。ぼくが氏を知ったのはなにかの雑誌に寄せたコラムで、そこでは大江健三郎の息子である大江光をもってして『無垢の権力』だの『聖なる白痴』だのと書いていたので「なんじゃ! コイツは!」と驚愕したのがキッカケだった。もちろん先の発言は本人に対してではなく、彼を囲む人や社会を揶揄しての発言だ。それからいくつか著作を読んだが、どれもこれも喧嘩腰で『バカにつける薬』に至っては往復書簡で喧嘩をしていたので読んでいてウンザリしたが、ぼくの脳内には《呉智英》の名がしっかりと刻まれることとなった。以前に『朝生』に出た時の映像がYouTubeにあったはずなので、興味のある方はご覧下さい。書き物だけじゃなく素晴らしく弁も立つ希有な人です。
 
 氏が書いた「唯一最良のイジメ対処法は報復に決まっている」との発言は正論だと思う。やられたらやりかえす、あるいは、やられるまえにやる。こんな事を書くと「それじゃいつまで経っても争いは絶えない」とおっしゃる人もおられるだろうが、まさにその通りで、未だかつて争いが絶えた事などないじゃないか。
『やられるまえにやる』のはいじめられっ子ではなくて、じつは第二部隊のいじめっ子がやっている。勃発したいじめに便乗しなければ、次は自分がやられてしまうからだ。それに便乗できなかった人間が集中砲火を浴びるわけだが、早めに抵抗すればいい。それが察知できないのは鈍いからで、反面いじめっ子というのはそういう空気にとても敏感だ。つまり、家庭でいじめを受けていた人間はその発散のために学校でいじめを働くのではなく、異様に敏感でいち早く“自分”を見つけ出すに過ぎない――とは独断の仮説だがあながち外れてもいないだろう。
 
 そもそも小中高時代なんかは、いくら喧嘩が強いといっても大した差はなく、武器を持てば確実に勝てるのだ。ぼくも小学生時代にS藤というやつをからかって遊んでいたが、ある日突然キレたS藤にリコーダーで頭をカチ割られてドボドボ流血した。以来、ぼくはもちろん、それを目撃していた全員が《S藤はヤバい!》という赤信号がインプットされる事となった。今頃は笛で叩く木琴奏者にでもなっているのだろう。
 いまのご時世「いじめに遭っていたから」というのは最上の免罪符なので、たとえ相手が瀕死の重傷を負っても許されるはずです。まったく羨ましいよ、鉄パイプで人をめった打ちにして無罪放免どころか英雄にだってなれるなんてサ。あ、大学生や社会人は例外ですからね。
 
 これは本当に月並みで稚拙な意見なんだけど、なにか好きな事をやっていればいじめには遭わないし、素晴らしい事にいじめる暇もない。ぼくの場合はギターだったんだけど、「お前ギター巧いなコンニャロー!」なんて言うヤツはいない訳で(いたとしてもギターでブン殴ってたけど)、むしろ賞賛されるわけだから、ぼくはいじめに遭った事はありません。ただ、社会に出てしまうとギターはあまり役に立たなくて、ぼくもいじめを経験しました――「うわっ! おれいじめられてるっ!」
 社会では、暴力は役に立たないどころか、その衝動とは見合わない処罰の対象となります(経験者談)。そう考えると“元いじめられっ子のプロレスラー”のなんと健全なことよ! 嗚呼! なんと美しきシンプルな復讐だろうか! 嗚呼! 鼻の曲がった身軽な木偶の坊!
 
 上目遣いでしか見えないもの、できない事がある。歯軋りの夜じゃないと観られない夢だってある。たしかに神はいるけれど、君には関係ないし、君が死んだって世界はちっとも良くならない。せいぜい白菜が2円安くなるだけ(キャベツは3円上がる)。君の葬式が終わった後、みんなでガストに寄ってハンバーグ&唐揚げを食べる。談笑しながら、もう君の話は出てこない。
 
 くやしいなァ!