王様の挫折、シャーマンの覚醒

 
 ナッツ&ですこです。
 
 世間ではWii(こないだまでWillだと思い込んでいた)だのPS3だのと騒いでおりますが、ゲームを一切やらない人間にとっては無縁の騒動で御座います。
 とはいえあたしは元来、異常なまでのゲーム好きでして、或るゲームをキッカケに一切やらなくなってしまった。それは1999年の出来事でしたから、都合7年間ゲームをしていない事になります。
 辞めたキッカケは『ダービースタリオン99』という、大ヒットした競走馬育成ゲームです。無数にある血統を掛け合わせて速い馬を作り、調教するのですが、分析していくと血統の管理が難しくなってくるので、ノートを買ってきて定規で枠を描き、それをテンプレートとしてコピー機で100枚ほど作ってはチマチマと血統を書き込んでいました。
 ダビスタ用に特化したテンプレート本も発売されていましたが、お手製のテンプレの方が優れていたと自負しています。
 仕事を終えて帰宅し、速攻プレイを始めて、晩ご飯もテレビの前で貪り喰い、風呂上がりは自然乾燥のままプレイ、ゲームとは無関係の馬の血統についての書籍も購入し、休みの前日は当然徹夜――とハマリにハマって、ついぞオリジナルの最強馬が生まれたのです。名前は確か《イタコビューティー》だったと記憶しています。
 当時、職場でもダビスタの話題が持ちきりで「じゃあ明日、各々が自分の馬を持ち込んで、休憩室のテレビを使ってレースをしようじゃないか!」という事になった。言い出しっぺはあたしだ。
 
 決戦前夜、メモリーカードに保存していた愛馬イタコビューティーを呼び出してレースをさせる。全ての重賞を、10馬身以上突き放してのブッちぎりである。負ける気がしなかった。バグだ――この異常な強さはバグだ!
 翌日の終業後、数人が休憩室に集合してそれぞれの馬を持ち寄り、ゲームスタート。イタコビューティーともう一頭が他を突き放す――「こりゃ競り勝つナ」。そう思ったのも束の間、我が愛馬はどんどん放されて、結局は10馬身以上の差で二着だった。あたしは放心した。
 我に返って、勝者のKさんに訊いてみた。
「その馬、どうやって作ったの?」
「んふふふ。ファミ通に作り方が載ってたから」
 あたしは、怒りと悔しさで武者震いしながら、六つ年上のKさんに言った。
「てめぇ! 反則じゃねぇか!」
「……ご、ごめん。なにをそんなに」
「ウルセー! 木偶の坊!」
 あたしは怒り狂った。
 帰路のオートバイに乗りながら、心底ゲームというものがバカバカしく思えた。同時に、予め答えが決まっているもの全てに対して嫌悪を覚えた。
 
 あたしがブログを始めたのはそれから間もなく、という訳です。