死んでも潰しがきく燻し銀

 
 数年ぶりにちくわを食べているですこです。どうよ、ちくわって。美味しいのかどうなのか、まったく判断がつかないのだが。
 
 たまには音楽の話でもしよう。
 先月、ブルース・ギタリストのRobert jr. Lockwoodが死去した。享年なんと九十一歳。ブルースに興味のない人はロックウッドの事は知らないだろうけど、彼の義理の父である〈ロバート・ジョンソン〉の名は聞いた事があるのではないだろうか。
 ロックウッドの母の再婚相手が(愛人説アリ)ロバジョンだったので、十歳の時にギターの手ほどきを受けたようだ。多感な時期にギターを、それも相手は神様である。もはやこの時点でロックウッドの運命は決定された、と言っていいだろう――「野球少年が長島茂雄とキャッチボールをしたらどうなるか?」。
 その十字架が重すぎたのか、ロックウッドは、前に出て自分をアピールするタイプのブルースマンではなく、ヒューバート・サムリンと同様にバックギタリストの色が濃い。いわゆる《いぶし銀》というヤツで、痒いところに手が届く、通好みのギタリストと言える。
 オリジナルアルバムも数えるほどしか出していなくて、ぼくが持っているのは89年にVIVIDから発売された「BLUS LIVE!」というアルバムだ(ISBNの表記がない!)。シカゴのブルースマンで初めて日本の地を踏んだのはロックウッドで、このアルバムはその時の録音だ(1974年11月)。
 特に素晴らしいのは「Stomy Monday」の演奏で、いま聴いてもイントロを一聴しただけで寒気がする。モダンだが、洒落ていて、個性がある。というか、個性のないブルースマンなどいないのだが。
 もう一曲好きなのは「Honky Tonk」というインストナンバー。これは当時、高校生だった時分に必死で耳コピした記憶がある。完璧に弾きこなして、独り悦に入っていたものさ。ちなみにCDで耳コピをすると、何度も停止や再生を繰り返すので、すぐに壊れてしまう。だからまずはテープに落として、それからじっくりとコピーをするのだ。テープデッキはとても頑丈で、伸びてしまったテープをめちゃくちゃに引っぱりだすのもひとつの愉しみだった。
 廃盤になったアルバムの話をしてもしょうがないので、バックギタリストとして参加した最も有名だろうと思われるアルバムをば。
 
 

Down and Out Blues
Down and Out Blues
posted with amazlet on 06.12.17
Sonny Boy Williamson II
Universal (1990/10/25)
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 つーか、これも廃盤かよ! なんのために貼ってるんだろう……。
 盟友、サニー・ボーイ・ウィリアムスン二世の有名なアルバムだ。この中の「Cross My Heart」でのロックウッドの演奏は、シカゴブルースの神髄と言えよう。スーパーウルトラギャラクティカマグナム級のDVD「The American Folk Blues Festival」でのサニーボーイを観た人はわかるだろうが、ジャケに写っているルンペンはサニーボーイ自身ではない。
 それにしてもAFBFでのサニーボーイのかっこよさは異常だ。他のハーピストは、どこか観衆の白人に媚びていて道化者じみているのに、サニーボーイだけはガチだった。ホンモノである。まーた人相がすこぶる悪い。
 これはThe Bandが名映画「ラスト・ワルツ」で語っていたエピソードだが、かつてサニーボーイの生演奏を聴いている時、彼はハープを吹きながら空き缶に何度も唾を吐いていた。あとで缶を覗いてみると、中には血が入っていた。サニーボーイは、その数日後に死んだ――。そんなホンモノのバックギタリストがニセモノのはずがないじゃないか。
 そういや手持ちの「THE GUILD GUITAR BOOK」にロックウッドの写真が載っていたっけ。接写してうpしよう。
 
 
 
 GUILD STARFIREの12弦を弾いている、珍しいショットだ。ちなみに右の小さい画像は、同じタイプのギターをギルド社から譲り受ける若き日のジョンとジョージである(1966年)。じつはマディ・ウォーターズもライトニン・ホプキンスもGUILDを使っていた時期がある。だが悲しいかな、GUILDのエレキをメインに使用した人はあまり居ないが、アコギをメインにしたミュージシャン(ポール・サイモン等)は居るから、阿漕やのう……うぷぷぷ。だからぼくは、尚更GUILDのエレキに、妙な魅力を感じてしまう偏屈野郎である。
 
 ロックウッドよ、素晴らしいギタープレイをありがとう。安らかに。合掌。