ナメクジには、週末の休日なんか無いんです

 
 金曜。
 パソコンが壊れている于吉の代理で、オークションに張り付く。ブツはギターである。
 ビールをクピクピ呑みつつ、于吉の携帯に嘘のメールを打ちまくる。
「ヤバイ、ライバル現れた」
「マジ? じゃあ予定よりも5,000円アップで」
「了解」
 
 数分後――。
「競り相手は手強い。どうする?」
「じゃああと3,000円アップで」
「実は既に20,000円アップで仕掛けている」
「え〜っ」
「サイは投げられた、腹を括れ」
 
 終了5秒前、開始価格で落ちたことを電話で告げる。
 
 出品者にメールを書いていると、電話が鳴った。
「あの野郎、嬉しくて待ちきれないんだな」と、てっきり于吉かと思ったが、電話の主はずむ先生だった。ぼくは無意識のうちに正座をしていた。両手で携帯を持って息を整えた。
「もしもし」
「世界のずむである」
「ご無沙汰しております」
「今、なにをやっておる」
エーテルについて考察しておりました」
「君がなにをやっていようが興味はない!」
「大変失礼しました」
「君はいますぐここに来なければならない」
「いますぐに、ですか」
「左様。“浮き球”が来札しておるのだ。わしに恥をかかすな」
「では、22:30までには」
「タクシーの運転手にはこう言うがよい――『我はずむの使いである』と」
「どのような効力があるのですか?」
「愚問だ!」
 
 汗ばんでいたので、最近は滅多につけない香水を振ってみたが、久し振りのせいでうまく噴射せず、むきになって連打すると大量にふりかかってしまった。
 Tシャツは“アメリカの良心”Daniel JohnstonのTシャツを着ていくことにする。
 
 国道でタクシーを拾い、乗り込んで開口一番「我はずむの使いである」と告げる。ルームミラー越し睨み付けられて、舌打ち混じりに「じゃあ、あのシガー・バーかい」と吐き捨てた。
「御存知ですか、ずむ先生」
「ああ、有名だからね」
「世界的なクリエーターですからね」
「アル中でもあるがね」
「虚言癖もありますしね」
 交互にずむ先生の長所を語り合っていると、ツーメーターでススキノのビルに着いた。メーターが680円を指していたので1000円札を差し出すと、運転手は呆れ顔で「5,680円だよ」と言った。
 狼狽えるぼくを上目遣いで睨み付けて、さらにこう言った――「こないだアンタの先生に踏み倒された分さ」。
 
 瓶詰めメーカーみたいな名前のビルの地下を降りると、ずむ先生の声が聞こえた。
 テーブル席には“浮き球”ともう一人男性が居た。聞けばこの男性、東大卒のスーパー・エリートだという。ぼくは東大卒を初めて見た。
 声の通りも鼻も利くずむ先生は「てめぇコロンつけすぎだぞ」とおっしゃった。確かに自分でも臭かった。
 乾杯。
 得てしてネットで知ったあとに実際に会うと違和感があるものだが、浮き球も例外ではなかった。ぼくは“ちょっと肥えたじゃりんこチエ”的な像を描いていたが、いやはやスレンダーな淑女であった。別の言い方をすれば、「カマトトぶっていた」。
 次の酒を頼もうと、店員にメニューを持ってくるよう頼むと、メニューは御座いません、と言われて背中に冷たい汗をかいた。
 考えてみればそうである。
 世界的なクリエイター、東大卒のエリート、浮き球――ぼくが居るべき場所じゃなかった。想い浮かぶメニューは、いいちこ、二階堂、ジムビーム、ちょっと頑張って“ラフイログ”という誤読。ぼくは「まだいいです」と言った。
 するとずむ先生は、まだグラスに茶色い酒があるのに「おれビール」とおっしゃって、泡に唇をつけてすぐに「おまえこれ呑め」と、ぼくの目の前にビールを置いた。
 ベルギーのビールで、自棄に旨かった。ワッフル状に凹んでいたぼくの心に、ビールとずむ先生の気遣いが染み渡ったんだった。
 ずむ先生はぼくのTシャツを指して「ナメクジみたいなTシャツだな」とおっしゃった。確かにぼくはナメクジみたいなものだった。ソルティ・ドッグを頼まなかったことに、安堵した。
 お会計は浮き球が支払って下さった。ありがとうございました。
 そしてあの二人は、南の方にしけ込んで行った。
 時計を見ればまだ0:00だったので、酒を買って独りで呑みつつ、ジョン・スコフィールドを聴いていた。ずっと聴いていると、ある種の妄想が頭をよぎる――「彼の良さを解るのは、彼以外では俺だけだろう」。
 
 土曜。
 仕事を終えて帰宅すると、S一郎からメールが来た。
「新しい職場の内定が決まった」
「そりゃおめでとう」
「軽く、どう?」
「いいね」
「West Hillsで」
「ああ、行くよ」
 West Hills――聖地、サンクチュアリである。
 札幌市内の高級住宅地といえば中心部の西辺りを指すが、それは間違いである。じつは南東に“West Hills”は在る。
 人間が丘に憧れる理由は、水害を逃れるためだけでは無く、「重力=加速度」を本能的に知っているからである。上から見下ろすことで覚える優越感よりも、減速地帯に居住して長生きをすることを本能的に望んでいるに過ぎない。界隈にある大学を「サッパリ大学」などと揶揄して呼ぶのは、下界の民が持つ劣等感の顕れと云えよう。
 MTBのタイヤをパンパンに膨らませて、目指すはサンクチュアリ。川と平行している国道は、南に向かって上がっている。途中で左折して丘に入り込む。車では何度も通った道だったが、予想以上にきつくて、途中で心がポッキリと折れる。
 それでも一度も降車することなく、S一郎の高級マンションに到着する。N子とn子が降りてきた。n子、可愛い。憶えてるかい、ですおじさんですヨ。
 ハイソサエティー・バーニング・チキン・ショップ『Large good luck』へ。一見さんはお断りの、セレブな店である。
 ビールをグビグビ呑みあげつつ、トラウマと子作りの場所の話で盛り上がる。
 小説や音楽の話でも盛り上がって「最近は背伸びすると、足が攣るネ」などと、加齢をひしひしと感じる。諦念と言うよりも、いよいよやっと自分にできることがわかった、ってことだナ。言い換えれば自分にしかできないこと、だ。
 お会計はS一郎が支払ってくれた。「大丈夫なのか?」と三度ほど尋ねる。十代から二十代前半まで、S一郎にはしょっちゅうオゴって貰った。総額百万円は近いと思われる。なんせぼくらは酒呑みだ、誇張はしてない。
 歳をとってお返しをしたつもりだったのに、ここでオゴられちゃ、また借りが増えちまうじゃないか。
 
 行きが地獄だったWest Hillsからの帰りは、天国だった。
 たとえば、空へ沈没したり、天国へ堕落したりと、そういう比喩が体感できるのが自転車の醍醐味だ。
 サイコンは40kmを指していて、夜風がめちゃくちゃに心地よい。
 あっという間に川に着いて、傾斜は緩やかだがスピードが乗る乗る。この感触は車じゃ、ガソリンじゃ絶対に感じることはできない。
 N島公園を突っ切ろうと飛び込んだが、祭りの後始末で大量のトラックがいて足留めを喰らう。暗がりでもゴミは散乱していて、古い油のにおいが立ちこめていた。祭りの後はぜんぜん静かじゃなかった。
 帰宅後、泥のように眠る。
 
 日曜。
 お仕事。
 帰宅後、泥のように眠って、起きれば19時。
 お見舞いに行けなくてごめんね、ママ。
 
 月曜。
 ふくらはぎと、胃が痛い。