厳正なる階級社会

 
 手首の内側を掻いていたら垢がぽろぽろと出てきたので、ドラッグストアでアカスリを買って、全身をうるかすべく久し振りに湯船を張ってみたら、おそらく水道管の錆びによる赤水で湯船が濁っていて、ああ、おれはもう何年間もこの赤水でシャワーを浴びていたのか、大家ブッ殺す、風呂嫌いですこです。
 
 スポーツにはあまり興味のないぼくも、世界陸上は楽しみにしております。注目はやはり100m走で、これほど“世界で一番速い”という冠が似合う競技はないと思います。50m走や200m走よりも、やっぱり100m走なんです。100m走がこれだけ普遍的な評価を得られるのは、マラソンのような長距離走よりも“わかりやすい”からでしょう。10秒以内で決着がつくのでマラソンのようなアクシデントもなく、バーンと鳴ってゴールすれば他のどんな競技よりも盛大な拍手が鳴り響き、世界中の注目を浴びる、プリミディヴ且つシンプル極まりない競技です。
 ぼくは100m走に才能を感じます。どんなに努力しても決して得ることのできない、“先天的な資質”です。
 
 幼い頃、特に男の子が最初期に覚えた優劣の感情は、おそらく徒競走の着順ではないかと思われる。一等賞の子供はただそれだけで一目置かれ、最下位の子は(大抵の場合、色白のデブだ)ゴールを越えてもそのまま家族のところに走り寄って、唐揚げを食べる。
 幼少期にビリだった子が中学生になって俊足へと変貌したなんて話は、聞いたことがない。速く走る資質は、生まれ落ちたその日に決定されている。つまり遺伝だ。
 まったく不公平な話だが、個人の資質についての不条理は他にも腐るほどある。バスケやバレーボールなどはその最たるもので、“階級”がない。ゴールやネットの高さが一定で、チビにとっては圧倒的に不利な球技だ。ロングシュートやセッターで才能を発揮する人もいるが、それは極めて希であり、その競技において資質があるとは言い難い。
 同じ巨人が跳ねるのならば、ぼくはマサイ族のダンスの方がうんと好きだ。でっかい夕陽をバックに、杖を持ったマサイ族が意味もなくジャンプしている――嗚呼! なんて美しいんだろう!
 それに、彼らは貧しいくせに抜群にお洒落だ。「襤褸は着てても心は錦」などという日本のココロとは対極かも知れないが、満腹中枢をちゃんこで破壊されてたらふく喰ってぶくぶくに肥えたブタ力士どもがほんの数秒で決着がつく持久力のカケラもない“自称勝負”の相撲番組を粗茶をすすりながらテレビで観ている日本人って、マサイ族よりもうんと貧しい。
 
 ボクシングは最もフェアな競技だ。細かく階級もあれば、決着までの時間も長い。スタミナは後天的につけるものなので、どんなにセンスがあっても試合がもつれれば勝てない。現にスタミナを強化して防衛を重ねているチャンプもたくさんいる。
 けれど、ぼくはボクシングにも“才能”を見たい。積み重ねた努力を、資質が打ち砕く瞬間を目撃したい。無論、逆も然りだけど。
 勝負事には運がつきまとうが、100mは他の競技と比べると運が介在する余地が少なく、才能の純度が高い。それに頭も使わないし、使わない方がいい(使ってしまう人はたぶん遅い)。でも耳はいいだろう。彼らは引き金と指紋が擦れる音を聞いている。そして発射する。なんの駆け引きもない。速く走ろうとしているのに、視界のすべてはスローモーションだ。耳はもう遠くて、さっきのピストルの残響音だけが聞こえて、いつしかそれも聞こえなくなる。音から逃げて、もはや〈無〉だ。ぼくは100m走が好きだ。速い人が好きだ。
 
 ある程度の俊足が役立つのはせいぜい高校生までで、社会に出てからはあまり役に立たない。逃走に威力を発揮しそうに思えるが、被害者の、執念で倍増されたスタミナたるや凄まじく、それが繁華街だった場合などは、土地勘やら逃げ込むビルを即座に選択する決断力も要求されるので、やっぱり大人の俊足は役に立たなくて、総合能力を要求される。
 そうしてあなたは袋小路に追い込まれる。相手は完全にやる気だ。もうやるしかない。相手はあなたの顔を殴りにくる。それでいい。怖いわ痛いわで悲惨だ。でも諦めるな。相手も疲れている。何発かで相手が頬か鼻を重点的に狙っていることに気づくだろう。耐えてパワーを溜めろ。そして思いっきり“口を殴れ”。正面から、歯を折るんだ。ヒットすれば相手は口を押さえる。あなたの拳は血まみれだ。でも、もう片方の拳があるし、膝も頭もある。そしてもう一度、口を攻撃しろ。徹底的に口を攻撃するんだ。眼はだめだ。あなたの目的は相手の闘争心を消し去ることであって、眼球を破壊することじゃない。鼻もだめだ。軟骨の再構築が容易だということは、相手も本能的に知っている。同じく歯が再生しないことも知っている。でも歯科技術は向上していて、歯は折り放題だ。それは攻撃側の考えで、折られた方は歯が再生しないことに狼狽える。マウスピースの存在意義は、ここにある。あとはお好きなように。あなたの手は骨折しているかもしれない。でも、再生してその箇所が折れにくくなる人体の不思議を味方につけて、少しにやけてみせる――

 と、于吉さんが熱く語っていました。
 
 徒競走で最下位だった白デブは、頭が良かった。正確には、勉強ができた。今ごろ彼は、高層マンションの最上階からぼくのアパートの屋根に咀嚼したピスタチオが混じった唾を垂らしているだろう。
 学歴社会とは階級社会を意味するが、下層の人がそれを恨むのはまったくのお門違いといえる。
 資質が不要な学力は努力でどうにでもなるし、入試というのはこのうえなくフェアなイベントだ。その時に努力しなかった人が悪い。100m走なみにシンプルな構造だ。
 
『うさぎとかめ』はよくできた童話だけど、瓶に酒が入っていればもっとよかったのに。