人差し指しか動かさない人たちはお金を遣う

 
 ギリギリモザイク、ですこです。
 
 某スネオくんから怪しげな機器を頂戴する。
 
 
 あくまで“実験用”らしく、某CATVを“実験的に”視聴できるらしい。早速“実験”してみると、番組が映った。たぶんこの機器は旧型なのだろう、ノイズが乗るチャンネルもあったが、おおむね良好といえる。
「しかしこの機器、はたして合法なのだろうか?」と、こいつが入っていた紙袋を見てみる。
 
〈リーガル〉、うーん、惜しい! RがLだったら! スネオくん! 白マジックで書き換えておくくらいの心意気を見せなさい! 修行が足りんぞ!
 
 パンツからキンタマをこぼして、エッチなチャンネルを観てみる。いきなり蒼井そらタソが出ていて、前のめりになる。
 しかし、である。
 萌えないんである。なんというか、もっと、こう、獣姦したり、うんことか喰えよ(おまえ変態だろ)。
 ぼくは、もう、女優に対して萌えない体質になってしまった。
 
 じつは以前まで長い間、CATVを契約していた。お目当てはWOWOWのボクシング番組だったが、WOWOWのみを加入することはできないので、月額六千円も払いながら、視聴するのは週に二時間のボクシング番組のみだった。あまりのコストパフォーマンスの悪さに解約したというわけだ。
 エキサイトマッチは月曜日だったっけ。明日の“実験”が愉しみだ。
 


 
 RICOH Caplio GX100を買ってから(カードで六回払い)、デジカメ熱に冒されてしまった。
 コンデジのくせに六万円と高価だが、じつはぼくは、デジカメを買ったのはこれが初めてなのだ。
 それまでのデジカメは、貰ったり物々交換で手に入れた物だった。
 だから、少々高価でもお構いなし、というか記念すべき自腹一発目は高価なほうが望ましかった。
 新しいデジカメを触ったのが久し振りだからだろうか、めちゃくちゃに使い易く、いいカメラだと思う。レンズは明るくて広角ズームだし、マニアックな機能も搭載されているので、これ一台でこと足りる。
 けれど、写りは所詮、コンデジのそれだ。
 じゃあ、デジ一ってどんな写りなんだろう?――と、中古で買ってしまった。しかもフィルム一眼も買ってしまった。だって、セットだったから。デジ一とフィルム一眼と標準ズームと望遠ズームが付いて、四万円ちょっとだったから。ぼくは買い物の天才だから! 以前、詐欺に遭ったから!
 驚いたことは、デジ一には、コンデジでは当たり前のライブビューが搭載されていないことだった。これはとても不便だ。すぐにデジ一が嫌いになった。
 もちろんレンズにもよるだろうが、暗い室内ではGX100の方が優れている。明るいレンズが欲しいけど、高い。まったく、よく出来たシステムと金額設定だと思う。
 
 2ちゃんのデジカメ板を貪り読んでいると、ある懐かしい感情が湧き上がってきた――
 
 
 若かりし日のぼくは、およそ二年間、暗室ラボで働いてことがある。現像やプリントのシステムはマニアック且つ古風で、その全てが手作業によるものだった。
 現像用の劇薬をポリバケツで混ぜるのだが、皮膚の弱い人はすぐにかぶれてしまう。
社内は酢酸系の匂いがたちこめており、おせじにも清潔感があるとは言い難い。
 会社の主な稼ぎは、病院などの胃カメラの現像だった。これはネガではなくポジなので、現像にはとても手間がかかる。特殊な眼鏡をつけて現像機に潜り込んで、暗闇の中で生のフィルムを吊す。失敗すれば患者の胃袋にもういちど胃カメラをイラマチオしなければならないので、細心の注意を払って行われる作業だ。
 プリント部門でカネになったのは、新聞社の仕事だ。持ち込まれたネガを即プリントしなければならないので、ピリピリしたムードが立ちこめる。
 しかしながら、ネガフィルムはメーカーによって特性がある。コダックコニカ、フジ、それぞれの色相特性は“手書き”のデータで管理しているので、CMY値のダイヤルと露光時間はある程度決まっていた。厄介なのは紙のロッドが変わったときで、ロッドが変わってしまうとすべてのデータを計り直さなければならないことだった。よく使っていた写真紙のメーカーは、確か〈オリエンタル〉というメーカーで、倒産したはずだ。ぼくはあそこの紙の質感が大好きだった。
 暗室の中で、四つ切りの紙を短冊状にカットして、色と露光時間を何種類か試し焼きして、紙の裏側に値を記しておく。モノクロと違って、カラーは真っ暗闇の中で作業しなければならないのだが、人間の目というものは面白くて、真っ暗闇でも視ることができるようになるのだ。
 あまりカネにならない、趣味的な仕事も多かった。顧客は、写真教室に通っている、年金生活を満喫しているジジイとババアだ。彼らのお目当ては新聞社が主催している写真コンテストに入賞することで、クソ長いレンズを持ったクソババアどもが、よく訪れてきた。ジジイ1、ババア9の割合で、歳をとると女の方が若々しいと思った。
 ぼくにも顧客がいて、クソ面倒くさいルーチンワークをこなしていると、「ですこさん、お客様です」なんて、クソ汚い暗室の向こうから、クソ汚い顔の受付嬢の声が聞こえる(言い過ぎだろ)。
 お客は、北海道新聞社主催のコンテストに毎回入賞しているババアだった。あの空を焼き込んで青くしたのはぼくの右手の甲だった。
「こんにちは!」
 相変わらずテンションが高いババアだ。
「今日はね、この写真を三枚焼いて欲しいの」
 安いところでプリントしてきた四つ切りを持参している。
「三通り、ってことですか?」
「うん、そう。この空をね、もっとこう、パーッ! っと」
「パーッと、ねぇ……」
 ぼくは頭を掻きながら、秘書兼経理のおばさんを盗み見た。おばさんは軽く咳払いをして、ぼくを上目遣いで睨み付けた。
「わかりました。濃淡変えて三枚焼いておきます」
「うん、じゃあ待ってるから」
 ぼくは耳を疑った。
「いますぐに、焼けと?」
「うん。急だから、お金は払う」
 目尻に捕らえた経理のおばさんの口元が、心なしか弛んでいるように見えた。
 
 受付から、酸っぱい作業部屋に戻ると、部長は話のすべてを聞いていたようで、その間にぼくの仕事をすべてやっつけてくれていた。部長の仕事は天才的に速かった。
 黒くて厚い二重カーテンを乱暴に開いて、暗室に潜る。こういう作品系の場合は特殊な紙を使う。裂くことができない、薄いプラスティックのような紙を使う。
 作業所の照明は、自然光に近い特殊な写真用の照明だが、受付の照明は普通の蛍光灯だった。だからちょっとだけ暖色を強めてやる。さもないと「なんか青いわねぇ」と、クレームをつけられてしまうのだ。
 ネガを挟んでセットし、ダイヤルを回して手の甲で覆って、露光する。くいっ、くいっと少しずつずらして、徐々に空を焼き込む。それを松竹梅、三通り焼く。
 ババアは決まって、三枚の内の中間を抜き出して、賞賛する。
 
 ババアの写真が入賞して、同じ教室の他のババアに吹き込んだのだろう、ぼくは急に忙しくなった。
 たかが新聞社主催の写真コンテスト、老後の愉しみに過ぎない写真でも、ぼくの眼は肥えてきて、ネガを見た瞬間から良し悪しを判別できるようになった。これは三分間のポップソングと同じ原理で、良いものは最初っから良いのだ。
 
 明らかにセンスのなかったババアが、いきなり素晴らしい写真を撮ってきたことがあった。
 他のみんなは教室のツアーに便乗して釧路湿原の鶴を撮っていたが、そのババアは自家製の糠床をガラス製の容器に入れて、その発酵と光の変化を逐一接写していた。ネガを透かして見ても、それはほとんど万華鏡だった。
 プリントを終えたぼくは、写真を部長のもとへ持っていって「これ、やばいっすね!」と言った。
 二人で唸ったその写真は、見事に入賞した。
 
 
――回想が長引いてしまった。
 
 ぼくは不思議で仕方がない。
 アナログ時代はあんなに加工していたのに、より加工が容易になった現在のデジタル時代のカメラおたくは、デフォルトにこだわるようだ。その自称デフォルトだって、幻想だってのに。
 凄いなぁ、物質と物欲のパワーってば。
 
 
 子供の笑顔を撮ることにかけては、天才的な写真家がいた。
 彼はいつもスウェットを履いていて、前夜に仕込む。レンズを磨いて、スウェットのゴムをハサミでちょん切る。
 子供たちが集まる場所に出向いて、大声をあげて子供たちの気を惹く。そのためにちょっとしたジャグリングも覚えた。
 興味津々な子供たちが集まる。
 カメラを構える。
 腰を揺する。
 スウェットがずり落ちて、パンツが露わになる。
 シャッターを切る。