わたしは黄色いサッチモである

 
 死ぬまで生きて下さい、シンナー中毒者ですこです。
 可燃性が高いところも、もたもたしてるとすぐに蒸発してしまうところも、恋とそっくりじゃないか。
 
 昨夜、実家へ出向く。「一緒にスープカレーを食べましょう」と誘われたが、就業時間と折り合いがつかず、まてしても「フンッ! なにさ!」と電話を切られる。元来短気な姉は更に気が短くなっているご様子。齢四十三、更年期障害のおでましだろうか。
 数日の間にすっかり実家の荷物が片づいていて驚くと同時に、なんともいえぬ虚しさを覚える。実家が無くなるというのはまったく淋しいものだ。病的なまでに綺麗好きな母なので、三十年生活したとは思えないほどに家中が綺麗だった。
 同い年の義姉と談笑。藤沢に友人がいることを話すと、「じゃあ正月はウチへ来てサーフィンに行きましょう!」と誘われる。どうやら真冬でもウェットスーツで波乗りするらしい。
 サーフ・ミュージックの話になって、やはりジャック・ジョンソンは愛聴しているらしい。 KEIS○N の話も出たが、藤沢の友人がそのバックでドラムを叩いていることは黙っておくことにした。会いたいなぁ、KEIS○N。彼の写真を撮りたいな、いい男なんだよ。ここだけの話、彼は途轍もないお馬鹿さんで……いや、ゴシップはよそう。
 
 こんもりと溜まった洗濯物をやっつけながら宅配DVDを焼きまくる。二社を股に掛けてるので、一ヶ月で二十枚になってしまった。かさばりを回避するための宅配なので、72枚収納できるコンパクトなケースを購入したが埋まるのは時間の問題か。
 ヒッチコックの〈サイコ〉を鑑賞するも、途中で眠ってしまう。カメラ割りが退屈だったな。これたぶん、エド・ゲインがモデルなのかな。
 ミスター・アジア顔こと、ジョン・リー・フッカーのDVDを鑑賞する。やはり若い頃は安物のギターを使っていて(シングルカッタウェイのセミアコ、PUはミニハム二発、たぶんエピフォンのシェラトンだろう)、その頃の方が断然かっこいい。AFBFと被ってる映像が多くて、辟易。
〈THE HISTORY OF ROCK 'N' ROLL〉というベタなタイトルのDVD Vol.2を鑑賞する。R&Bやソウル期の映像で(こう書くと恐竜の歴史みたいだな)、コメントしているグラディス・ナイトの顔面の皺具合から、制作時期が80年台半ばであることが窺える。
 じつに様々なアーティストたちが当時のシーンを回想してコメントを残しているんだが、最も印象的だったのは、ミスター・子沢山こと(21人の父!)、聖職者にして葬儀屋の巨漢ソロモン・バークだった――
 
 
 肩幅広すぎですから! 背中がおっきすぎですから! あとね、胡散臭い!
 
 読書、読書、読書。
 他人がどう思っているのかはわからないけど、たぶんぼくはみなさんが思っているほど読書家ではない。活字中毒の気はあるけど、三度の飯より読書が好きというわけじゃない。活字中毒というよりも、退屈が耐えられないのかもしれない。それを打破するための手段が本である必要はまったくなくて、音楽でもいいんだけど、電源を入れてCDを挿入するタイムラグが許せない。
 その点、本はいい。そこいらに散らばっている適当な文庫本を、藁をもすがる思いで手に取り、あっけなくブン投げる、その繰り返し。
 集計したわけじゃないけど、たぶんぼくの本棚は小説とノンフィクションが4:6くらいの比率で並んでいるはずだ。虚構に現実感を見出すよりも、ノンフィクションに虚構を見出す方が楽しいし、興味深い。「事実は小説より奇なり」という言葉の通りで、ぼくは奇怪なノンフィクションが好きで、ただならぬシンパシーを覚える。けれど、それが事実である保証はどこにもないし、奇怪なノンフィクションほど古い話が多いので、検証はもはや不可能だ。けれど、圧倒的にリアルなのだ。
 そういった感情に囚われたとき、現実はどうでもよくなってしまう。
 ぼくの人生なんかどうでもいい、とは格好つけすぎだな。森羅万象が面白すぎて、それどころじゃない。みんな凄すぎ!
 人間って、世界って、素晴らしいですネ!