さめきってますが、ナニカ?

 
 ガレージから発進するときにエンストしたのなら冬は近い、浮谷です次郎です。もうすぐ、冬ですね。
 
 昼頃に一旦帰宅し、実家へ向かう。母も含めた親族総勢六名で引っ越しの荷造りをしているので、参加しないわけにはいかない。
 不要な物が大量に出るのだろうと思いきや、ほとんどバーゲンセール状態で、叔母たちが「これあたし持っていく!」と騒いでいる。
 夕刻から再度出勤しなければならないことを告げておいとましようとすると、親族全員が「これからジンギスカンへ行くんだから休みなさい!」と言う。それが不可能であることを告げると、親族全員が「じゃあ辞めてしまいなさい!」と言った。
 午後八時、黙々と仕事をしていると姉から電話がくる。
「いまジンギスカン終わったから、今度は居酒屋へ行くわよ。さあ、おいでなさい」
 帰宅が午後十時を過ぎるであろうことを告げると「フン、なにさ!」と電話を切られてしまった。我が親族のことだ。居酒屋ではぼくの悪口で盛り上がったに違いない――「ですこってホンット付き合い悪いわね!」「そうですねー、ヤーヤーヤー!」
 あのな、おれだって行きてえんだよぉ!
 
 世間では斧を使った殺人事件が話題になっているが、少しゾッとした。
 以前に書いた馬鹿げたアサシン・ストーリー『ゴルゴ・サーティーワン』の続編として、武器は斧を使うことを構想していた。
 斧で人を殺すとなると、古臭く、あるいは非現実的のように思われがちだが、じつは斧というのは非常に優れた武器なのだ。
 ナイフを使う場合は接近しなければならないし、ナイフワークなどの格闘術を会得せずして無傷での殺害は難しい。それに、メッタ刺しは絵にならない。
 比べて斧は、鋭利である程度の重さがあれば非力な素人でも一撃で殺害できる。脳天や延髄を狙えば即死だし、威力の割にハンディなところも魅力だ。
 ネットでは「アニメに影響を受けた殺害方法だ!」と話題になっているらしいが、ぼくはそのアニメを知らない。しかもこのアニメは打ち切りになったらしい。
 かつて〈必殺仕事人〉という時代劇があって、そこでの印象的な殺害方法は、相手の首に組紐を巻き付けて宙吊りにするというものだった。効果音も印象的で「キ、キキキ、キキキキキ」と、じわじわ絞められる感じが幼心にも生々しかった。
 これは明らかに『コマンド絞首術』の影響で、さすがにこれを真似て殺人を犯す人がいなかったからなのか、ドラマの背景として正義漢という植え付けがあったからなのか、この番組にはおそらく抗議の電話はなかっただろう。いや、時代性かもしれない。
 斧とアニメ、これはあまりに出来すぎていて、ぼくは悔しい。もうぼくは、斧を使った虚構を書けなくなってしまったじゃないか。
 だが案はある。いま思いついた。クリーニング店の針金ハンガーを使っての暗殺劇にしよう。タイトルは〈吊されたエンペラー〉にしようか。皇帝の屍体を屋上に干す。カラスが屍をついばむ。さすがのカラスでも皇帝の心臓は躊躇するようだ。残ったオカリナみたいな心臓は、風に吹かれてメロディを奏でる――。
 
 虚構の中で人を殺してみてはどうか。やってみると意外と難しいし、それを人前に晒すのは確かに恥ずかしい。けれど、ある種の熱を感じとることができるかもしれない。その律動は、創作でしか決して得ることができないだろうし、なにより表現というものは元来こっ恥ずかしいものなのだ。良く言えば、だから価値がある。それはオリジナルだ。
 リアルで人を殺してる暇なんかないのである。
 
カッコーの巣の上で〉があまりに素晴らしかったので、同じ監督の〈アマデウス〉を鑑賞する。VHS時代に観たような気がするが、いま一度鑑賞してみる。
 夫人がとても可愛い。しかも巨乳だ。だがよくよく見ていると、彼女の将来の顔が浮かんできた。たぶん、パグみたいな顔になるんじゃないかしら、と思ってパソコンでイメージ検索してみると、現在の彼女はやっぱりパグみたいな顔になっていた。でもわたくし、フレブルとかパグの顔が大好きなんですよー。あ、犬の話ね!
 アマデウスが死ぬ間際、彼のハミングとイメージをサリエリが採譜するシーンが素晴らしい。本物の天才を完全に理解できる希有な秀才は、ただ記すだけで一役買ってるような気になって昂奮の音楽に包まれる――いや、解放だ!
 
 よかった。
 コンセントとMIDIのない時代で。