むしろぼくがペットです

 
 誰かぼくを飼ってくれ、ですこニャー。
 
 たまたまニュースで見たんですけど、飼いきれなくなった犬猫の処分を保健所に持ち込んだ場合、有料になるそうです。ぼくが驚いたのは今まで無料だったことと、有料化とはいえ生後九十日の生体が二千円、未満が四百円という格安なところです。
 調べてみれば年間六十万頭の犬猫たちが殺処分されているようで、年々増加していくだろうことは近年のペットブームによって明らかであり、保健所が有料化したところで減少はおろか、野良が増えていくに違いありません。
 
 考えてみれば、近年のペットショップはとても増えていていますし、ぼくの界隈でいえば、プレハブだったショップが今や一丁画を占めるくらいに巨大化し、徒歩五分にはオープンウィンドゥのトリマー専門学校が建ち、徒歩十五分先のススキノの外れにはわんにゃんふれあいパークなる大きなビルが鎮座しとります。
 
 人々がペットを連れて公園を散歩する絵図はほとんどユートピアですが、翻って年間六十万頭殺処分という現実と、一体どう折り合いをつけるつもりなのでしょうか。某国の犬猫を食べる風習を、どうして批判できるのでしょう。
 
 作家の坂東眞砂子さんによる仔猫殺しが話題になったのは記憶に新しいけど、当時から不満だったのが、「なぜここで石丸元章が話題にならないのか?」でした。
 坂東眞砂子さんの場合は、避妊を拒絶し、産まれた仔猫を崖に棄てる、という親猫に対して偏執していますが、石丸元章は仔猫に固執するんです。
 彼の場合は『永遠に仔猫ちゃんを愛する方法どえす☆』と題して、生後一年経った猫を保健所に持ち込んで殺処分にして、亡骸を持ち帰り、業者に委託して毛皮にし、ついでに保健所にいる仔猫を引き取って――のリフレインです。うーん、永遠。
 ぼくは、この二人に古めかしい文学的な匂いをプンプン感じるのです。人間の都合による殺生だけど、“単に捨てる”とはちょっと違うでしょ。非人道の陰に尊重があるような、都合が炸裂するとほとんど愛に近くなるような、そんな気がする――というか、非人道という言葉自体がすでに矛盾しているわけですが。
 
 特に動物愛護の精神がない肉食のぼくも、かつて高校生の頃に犬を飼っておりまして、犬種はシーズーという中国由来の小型犬でした。親戚が犬好きでシェパードやらシーズーを飼っており、その仔を貰ったのです。「産まれたから選びに来なさい」というので親戚宅に出向いてみると、六頭の仔犬たちが所狭しと走り回っていました。ぼくはその中から一番茶色い、やんちゃそうな仔犬を抱き上げて『チャゲ』と名付けました。
 仔犬というのは本当に可愛くて、ぼくは毎日じゃれあい、餌を与え、排泄物の処理をし、自らの肛門を舐めただろうその舌にキスをする毎日でした。
 三ヶ月ほど経つとほぼ成体サイズになり、生意気になってきます。なによりぼく自身が飽きてしまい、次第に無下に扱うようになりました。いつしかボスは母になり、二位はお犬さま、最下位はぼくという順序になってしまったようです。チャゲが寄ってくるのは、お菓子の袋を開ける音を聞きつけたときだけという有様で、ぼくにはまったくなつかなくなってしまいました。
 ここはひとつ名付け親の威厳を見せつけようと、深夜にプロレスラーの覆面を被って帰宅して脅かしてやろうと企みました。
 どんなに忍び足で家へ向かっても犬の聴覚たるや凄まじく、鍵をそっと開けて覗いてみると、千切れんばかりに尻尾を振っているのが垣間見えました。
 素早くドアを開けると、チャゲが吠えたのが驚きでした。匂いや体格ではなく、犬も顔で認識しているようでした。ぐふふふ、とS心に火がついてチャゲを追いかけ回すと、逃げつつも吠えながら、ボスに異変を知らせようとしています。さらにコーナーへ追い込むと、呻り声をあげて威嚇してくるではないですか。
 そこで蛍光灯を点けて覆面を取ると、チャゲはヘナヘナとへたりこみ、失禁しました。以来、益々なつかなくなったことは言うまでもないでしょう。
 朝から夕方まで不在の家での寂しさが耐え難かったのか、チャゲはあらゆるところに排泄物を撒き散らし、ストレスのせいで円形脱毛症になってしまいました。母との相談の結果、里子に出すことにしました。当時はいまのようなペットブームではなく、室内犬を欲しがる人はたくさんいました。
 我が家は生意気にも“里親面接”をすることにしました。三組ほど来ましたが、老人と同居している家族に譲ることにしました。この家ならば、愛玩犬として可愛がってくれるだろうと。
 
 チャゲはいつも母のベッドで眠っていて、たまに腰を振っては射精していましたが(いま思えばボスは彼だったのかもしれない!)、最後の夜、ぼくはタオルケットを持って居間で眠ることにしました。そうすればチャゲが寄ってくると思ったのです。
 寝たふりをしながらしばらく経っても寄ってこないので、ふと見ると遠くでチャゲがうつ伏せにになってこちらの様子を窺っていて、目が合うと尻尾を振り始めました。ほんとうは起きあがってじゃれ合いたかったのですが、里親が決まったとなればそれも不純な行為だと思えました。
 ぼくは寝たふりを決め込むことにしました。すると、チャゲはトコトコと寄ってきてぼくに密着しながら寝場所を探し始めました。顔に寄ってきたら鼻息で拒絶してやるうちに、身勝手な涙がぽろぽろと溢れ出てきました。「もう二度と犬は飼うまい」、そう想いながら眠りに落ちました。
 
 朝、起きると、チャゲはいつものように台所を見上げながらくるくると廻って食事をせがんでいました。
 チャイムが鳴って、里親が迎えにきました。ぼくは部屋に隠れ、母が応対しています。たぶんその時、ぼくの聴覚はチャゲと同じくらい鋭敏だったはずで、里親に抱かれながらその服に尻尾が擦れる音を聞き逃しませんでした。
 黄色い声のあと、玄関のドアが閉まる音が聞こえて、階段を降りる音が聞こえます。車のドアが閉まる音が聞こえてから、窓をそっと覗くと、車とチャゲは去って行きました。
 
 以来、ぼくはアイラブペットネットの動画を見ながら涎を垂らす毎日ですワン!