なつらしい感じ

 
 しばらくDSの電源を入れていない、ですこです。
 え? 文学全集? 嗚呼、そういえばそんなタイトルもあったっけ(遠い目)。坂口安吾島崎藤村を読んだきりで、とてもじゃないけどDSの画面で百冊読破はキビシイですね。読破そのものが目標になっちゃうと、読書本来の意味が損なわれてしまうような気がするし、書籍の積読も、本を買ったという物理的欲求を満たしてしまったから起こるわけで、それがDSのタイトルとなると尚更でして、しかもあらすじを読めてしまうのでチラ見しただけでエキスを吸い取ったかのような錯覚に陥ってしまうだめなぼく。
 今いちばん大切に読んでいる本は、A.H.マズローの『人間性の心理学』という本で、これがかなり面白くて毎晩少しずつ噛み締めるように読んでいます。本当は図書館で借りて済ませるつもりだったんだけど、読みたいと思った日がたまたま休館日だったので、我慢できずに本屋へ走って買いました。高価だったけど、買って良かったと思える名著でした。
 心理学は所詮最大公約数の話が主なので、鵜呑みにするのは危険ですけど、思索の過程が面白いし、結局答えなんかはなくて、あるのは未知の領域がいかに広大かという学者の溜息なわけです。ニュートンは落下するリンゴを見て万有引力の研究を始めたわけだけど、あの時代では公衆の面前で斬首が行われていたはずで、地面に落ちた生首をみた大衆は、引力よりもなにか別のことを考えるわけで、医者ならば噴出する血液を目撃して、重力は上の空で心臓の圧力について考察したのかもしれない。
 こうして考えていくと、新しい仕組みを解明するためには個々人の思索なりが必須で、それらを持ち寄っていちばん多いやつを、真実として祭り上げたのではないだろうか。それに反対する者は、ガリレオ然り、糾弾される運命にあるのかもしれない。
 
 ニューマリオもじぴったんを買って、マリオはすぐにクリアしたんだけど、もじぴったんが難しくて、ちょっとぼくは楽しめないゲームだったので、なにか別のタイトルを買おうと探してみたんだけど、おびただしい数のタイトルが発売されていて、もはや一体なにが面白いのかを探すことすら難しいわけです。
 そんな話を友人にしていると、「じゃあゼルダ貸すよ」と言うので借りてみた――これが、めちゃくちゃに面白かった。
 ぼくのようなファミコン世代にとって、ゼルダの伝説はひとつのトラウマで、激烈に画期的なゲームだった。RPGとは違って、増えるのはハートの器と回転斬り等の技術くらいで、なによりアクションゲームに謎解きが同居しているという、当時としては風変わりなゲームだった。
 その作風はDSでも継承されていて、シンプルかつドキドキさせる内容だった。RPG的な“やりこみ”をメインには持ち込まず、船のパーツ探しに転換するという周到なアイデアは、さすが任天堂と言うべきだろう。
 
 ドラクエの面白さは、自分も敵もどんどん強くなっていって、最後には強大な敵を倒すという、黄金期のジェッキー・チェン映画のような構図だけど、これが世界的に売れているということは、人が向上心を持っているという顕れに違いない(話が重い)。ゼロが増えるという簡単な仕組みに、なぜみんな昂奮するのだろう。
 銅の剣から鉄に持ち替え、鋼の次は炎に行ってしまう。なぜ、チタンの剣や、カーボンの鎧が出ないのか。はたまた機関銃や、機動隊の盾が出ないのか。
 なぜ、時代背景が古風なのか。そしてそれが売れるのか。
 それは、みんなが現実の常識なり歴史なりを知っているからだろう。その箱庭からはみ出してしまうと、クソゲーの烙印を押されてしまう(もちろん名作もある)。
 
 けれど、脳の未知の領域では、人間は新しいものを求めているに違いない。それも、ちょっとだけ懐かしいやつ。つまり普遍性だろうか。
 これは、全てのエンターテイメントに言えることだと思うけどね。