メーラン・ド・ギャレット

 
 今日の出来事だ。
 ビルの前にスゥと、異様に大きなハマーという車が停まった。この時期の車体ならば汚れているのが普通だが、そのハマーは限界まで黒光りしていた。
 左側の運転席から降りてきたのは中年男性で、歳の頃なら五十、薄い茶が入った眼鏡を掛けており、黒いスーツに上着はブラックレザーのハーフコート、黒い革靴はこれまたビカビカに輝いている――というステレオタイプだ。けど、ある意味良心的だとも言える。最近の怖い人たちは見分けがつかないので、こういった紋切り型は我々善良な市民にとってはむしろ有り難い。
 すると怖い人は後部座席を開けて、中から男の子と女の子がキャッキャと騒ぎながら降りてきた。二人とも小学生未満の幼児だったが、男児の方は茶髪で、女児はロングコートにハットといういでたちだった。夫人はいなかったが、子供たちがやけに幼いなと思った。孫にしては……などと邪推させるには充分ないかがわしさを匂わせていた。
 隣にいた同僚に「ありゃヤバイな」と耳打ちすると、同僚は「いや、あれN山製麺の社長らしいよ」と言った。
 N山製麺――札幌の人でこの会社の名前を知らない人は少ないだろう。
 今ではいくつかの製麺会社が存在しているが、二十年くらい前までは、札幌ラーメンの麺といえばほとんどがN山製麺の物だった。多くの店の暖簾の片隅や、カウンターの灰皿にはN山製麺の名があって、独占状態だった。定食屋は米を炊くが、ラーメン屋は麺を打たない。そこにいち早く目をつけて工業生産化したのだろう。
 けれどここ最近、おそらく二十年前くらいからラーメン多様化の萌芽が表れ始めて、いまでは名のあるラーメン屋はN山製麺ではなく、M住製麺を使い始めている。ぼくが好んで行く店は、ことごとくM住製麺だ。
 それでも未だに市場の六割はシェアがあるのだろう。
 黒光りのハマーとスパンコール・キッズ――電球がその役目を終えるとき、一瞬だけパチンと光る。ぼくは栄枯盛衰を空想した――
 


 
『浸かっていては伸びるだけ(だったらハナから縮んでおきますわ)』
 先代が直筆で書いた、従業員用のトイレに貼られている意味不明の格言は、落書きだらけだった。製品の品質は落ちてこそいないが、進化もしていない。殿様商売が仇となって、かつては九割のシェアを誇っていたが、苦し紛れに粗悪な小麦粉を使用したことで拍車が掛かり、いまでは二割にまで落ち込んだ。市内に三つあった工場の内、二つ閉鎖し、残った一つもフル稼働していない。
 六畳ほどの休憩室で、一人の従業員が窓を見下ろして「おやおや、二世が来ましたよ」と言った。他の従業員は乱暴に煙草を揉み消して、気怠そう立ちあがった。
 社長の東川は適当に車を停めて、出迎えにきた工場長にキーを投げつけた。そのまま社長室に直行して、椅子にふんぞり返る。総務や経理があれこれと言ってきても「うんうん」と頷くばかりだった。
 すると東川は「人事呼んで」と言った。人事部長が現れると、東川は「トイレに落書きしたの誰?」と訪ねた。人事部長は「いえ、私にはわかりません」と言った。
「うまいこと書いてるじゃん。工場にいるのは勿体ない。CMのコピーに使おうか。ハハハ!」東川はカラカラと笑った。
 
 間もなく東川製麺は倒産した。従業員の賃金は保証されたが、東川の一家は離散し、彼の行方は誰も知らなかった。
 
 十数年後、東川は関東のドヤ街に落ちていた。アル中やポン中の坩堝だが、中にはワケありの人間もいて、医師や弁護士の免許を剥奪された者もいるが、いちばん悲惨なのは元警察官で、彼らは労働者たちに徹底的にやられてしまう。ゆえに無口な人間は、落ちてくるまでは社会的地位の高かった者が多く、東川はその典型だった。だが、他のワケありとは違って、東川には先天的な楽観性があったので、多くの労働者は彼に一目置いていた。
 
 ボランティアで公園の掃除をしてから宣教師の説教を二時間も聞いて食事にありつく、という人間が大半だったが、体力のある者はマグロ漁船に乗ったり、あるいは漁船を装った廃油不法投棄の船に乗るのが常だった。東川には日雇いのブローカーも寄ってきたので、そのまま従って日当四千円を得ていた。野宿もするが、週の半分は一泊千五百円の簡易宿泊所に泊まっていた。東川は“マトモな部類”に属していた。
 
 ある土曜日、一人の男が話し掛けてきた。
「ヒガシちゃんサ〜たまにはボランティアしてみんなと交わろうよぉ〜」
 東川はコクリと頷いて、それに従った。
 竹箒を持って枯れ葉を掻き集めていると、なにかが引っかかった。よく見ると、土にまみれたエロ本だった。東川はそれをそっと腹の中にしまった。
 数時間後、業務終了の合図が聞こえた。具がたまねぎのみのカレーライスだった。
 宣教師たちが去ったあと、一人の労働者が「今日はわしのオゴリじゃー!」と叫んで、拍手喝采が起こった。叫びの主は“大将”と呼ばれており、日銭を稼いでそれを振る舞うことによってイニシアチブを得ることを生き甲斐にしている男だった。
「ヒガシちゃんも行くよね?」と、東川を誘った男が寄ってきたが、手をひらひらさせて断った。いくつかの舌打ちのあと、大将の叫びが聞こえた。
 
 簡易宿泊所『タバコ屋ベッドハウス』の一室で、東川は拾ったエロ本を腹から取り出した。読み進んでいくうち、それほど過激じゃなかったので落胆したが、陰茎は充血を始めていた。煎餅布団に片肘をついたまま尻の方からパンツを降ろしてから、手を洗っていないことに気づいて、東川は共同の台所まで歩いて、丹念に洗った。
 あぐらをかいて、床に本を置いて熟読してみる。ページをめくるっていると、土汚れが気になったので、手は使わず、肘で汚れをぬぐった。綺麗な掌で陰茎を握ってみた。久し振りだった。熱かった。サーモグラフィを当てれば、その絵は鼻をもぐ天狗だ。しごいた。年甲斐もなく、夢中でしごいた。精液はエロ本にぶちまけられた。
 エコーを一本吸ってから、エロ本が精液によってひっつくことを懸念しはじめた。今度は逆の肘でぬぐってみると、グラビア女性の顔が現れた。そういえば体しか見てなかったな、と全体を凝視してみる。かなりの美人で、どこか懐さを覚える輪郭だった。プロフィールを読んでいると、名は違ったが、字が東川だった。誕生日も合致していた。
「ヌードル、ねぇ? ハハハ!」
 東川はカラカラと笑ったあと、目頭を揉みながら、薄汚れた布団を被って啜り泣いた。
 
「カツン」
 窓に小石の当たる音がした。覗いてみると、さっきの男が突っ立っていた。
「ヒガシちゃん、おいでよ〜」
 東川はすぐに着替えて部屋を飛び出した。
 
 公園では酔っぱらいたちがどんちゃん騒ぎしていて、あろうことか焚き火の上にドラム缶をのせて五右衛門風呂をこしらえていた。
 大将が歩み寄ってきて「ヒガシちゃんも入りなよ」と言った。断る理由はなかった。今夜の全てを洗い流したかった。
 服を脱ぎ捨てて、湯に浸かる。よく見ると大量の脂が浮いている。ほとんど寸胴鍋だったが、東川は両手で湯をすくって、顔にかけた。
 さっきの男が焼酎を持ってきた。東川は「ありがとう」と言って、男ははにかんだ。
 胃袋にポッと火が灯る。吐き出す息は白かった。
 見上げた冬の夜空に、オリオン座が見えた。
 それに吐息が重なると、割れた砂時計から時間が漏れているようだった。
 
 湯から上がって着替え終えると、「おーし! じゃあ〆はラーメンじゃい! 札幌一番塩ラーメンじゃい!」と大将が声を上げて、歓声が聞こえた。
「おれに作らせろ!」
 東川は袖をまくりながら、全速力で走り寄っていった。