なんとでも言うがいい。おれはそれをニヤニヤしながら喰うだろう

 
 サイモン・フィッシャー・ターナーを、この国の王様として迎え入れたいですこです。
 
 たまに、思い出したように人気ブログ「きっこの日記」をナナメに読むんだけど、過去のエントリに「男のクセにグラタン喰うな!」とあって、少々凹み、若干ムカついた。べつに男がグラタン喰ったっていいじゃねえか。
 ここで「あぁそうなのか。グラタンを食べる男は女性に嫌われるのか……もう二度と食べるまい」などと弱気になってはいけないんである! それこそ女々しいのだ! アツアツのマカロニグラタンを一気にたいらげ、手を挙げて大声でこう叫ぶのだ――「すいませーん! エビグラタン下さい!」
 なんたる豪傑、なんという西郷っぷり。そんなあなたを女性は見直し、体を許すだろう。そこであなたがやるべきことは言わずもがな、濃厚なるホワイトソースを、その生意気な女の面にブチ撒けてやることだ! もちろん、そのあとルームサービスでグラタンを頼むことを忘れるな! 畳みかけろ! 優れたギターソロみたいに!
 
 ぼくはグラタンが好きだ。だが、機会がないので滅多に食べることはない。ドリアはそれ自体が完成型と思われるが、グラタンをおかずにした主食の見当がつかない(フランスパンか?)。それでもたまに、コンビニでグラタンを買う。特にセブンイレブンのは美味しい。
 
 グラタンは、ぼくにとって特別な食べ物で、これは軽いトラウマと呼んでもいい――
 
 小学ニ年生くらいの頃、母の帰りが遅いときの夕飯は、予め作っておいてくれることもあったが、急な用事で帰宅が遅いときなどは、歳の離れた姉か兄が食事を作るのが常だった。
 けれど、すぐに高校をドロップアウトして夜の街を徘徊していた姉は、ロクに家に帰ってこなかったので、兄が作ってくれた食事の記憶しかない。
 当時中学三年生だった兄の得意料理は、スクランブルエッグとチャーハンだった。誰に聞いたのか、チャーハンの仕上げの醤油は鍋肌に廻しかけていた。味よりもその光景が美味しそうだったし、レパートリーは二つしかないのに「今夜はなにが食べたい?」と訊かれたところで、いくら子供だとはいえ「夕飯にスクランブルエッグはねぇだろ」と思っていたので、兄が作る夕飯はチャーハンと相場が決まっていた。
 
 ある日、機嫌の良さそうな兄が威厳たっぷりにこう言った。
「今日はなんでも作っちゃる。好きなものを言うがよい」
 ヒクヒクしてる兄の鼻孔を見上げて「グラタンがいい」と言ってみた。
「よし! じゃあ今夜はグラタンだ!」
 そう言って袖をまくった兄は、アフロヘアにムラサキのニッカポッカといういでたちのまま、近所のスーパーへ行った。
 
 当時、ホワイトシチューは幸福の象徴だった。少なくともぼくはそう思っていた。
 夕暮れまで近所の公園で遊んでいると、エプロンを着た母が「ほらー、ごはんだよー」などと呼びに来て、ぼくは友だちに「じゃあ明日のスタートはおまえがオニだぞ!」などと言い捨てて、家に帰るとシチューの匂いが立ちこめていたときの、あの至福体験。
 クリーミーなもの、つまり、料理に牛乳を使うこと自体が希だった。
 噂によると、グラタンなるものは、シチューの濃いやつにこんがりと焦げたチーズがのっているというではないか。
 
 買い物袋を持った兄が帰宅して、パッケージを見ながらマカロニを茹でている。ぼくはソファに座ってキン消し遊びをしている。
 コンロとパッケージを交互に見ながら首を振っていた兄が、手を止めて耐熱皿にバターを塗り始めた。その一風変わった光景を見ていると、訊いてもいないのに「焦げないようにこうするんだ!」と誇らしげに言った。
 ホワイトソースを入れた皿にチーズを散らしてからラップをかけた兄は、「ちょっと出掛けてくるから待ってろ。いいか、グラタンは寝かせなければならないのだ」と言い残して、刺繍の入った白いロングコートを纏って、慌ただしく家を出て行った。ぼくは相変わらず、バッファローマンロビンマスクを宙で戦わせていた。
 
 息を切らせた兄が帰宅したのは、三時間後だった。ぼくはすでに眠たくてしかたがなかった。
 兄は血走った眼のまま、「よし! 焼くぞ!」と言って、皿をオーブンに入れた。
 チーズが焼けていく光景を見たかったぼくは、目が覚めてオーブンの前に陣取った。
 すると、焼いてから間もなく、オーブンの蓋の隙間から黒く細い煙が出てきて、いやな臭いが居間に充満して、みるみるうちに煙がかった。
 異変を嗅ぎつけた兄は、焼き上がるまで待機していた自室から飛び出してきて、オーブンのコンセントを抜いてからふきんを濡らし、二つの皿を取り出した。
 皿のフチや側面は黒く焦げていて、チーズの上には、なにやら透明な物体が、縮んで固まっている。
 兄は、ラップをしたままオーブンで焼いてしまったのだ。
 
 こうなると、七つの年の差なんか関係ない。
 ぼくは片眉を上げて、兄を窺った。兄はうつむいて目頭を揉んでいる。
 すると、兄は立ちあがって、戸棚からスプーン二つと取り皿を出した。
「めくれば、喰える……」
 そう言って、チーズごと皿に除けてから、咽せ返りながら内部を食べ始めた。もちろん、ぼくもそれに倣ったさ。
 味は悪くなかったよ、ホワイトソースとしては、ね!
 
 聞けば、グラタンなるものには、いい感じでこんがりと焼けたチーズがのってるらしいじゃないか。
 是非とも食べてみたいものだ。