素晴らしきこの世界

 
 なにもいうまい、アワビですこです。
 
 仕事始めは五日だったんですが、実質は昨日が仕事始めでして、前夜である六日の夜は、それはもう筆舌に尽くしがたいくらい仕事に行きたくなくてどうしようもなかった。
 もし、『仕事に行きたくない選手権』があったのなら、ぼくは確実にメダルを獲れただろうし、『仕事に行きたくないサーモグラフィー』をあてられたのなら、赤を通り越してどどめ色になっていたに違いありません。ところで、どどめ色ってどんな色なのかはぼくもわかりませんが、たぶん梅毒に冒されたちんぽみたいな色だと想像しています。
 ですから、新年に「よしっ! 今年もバリバリ働くぞ!」という意気込みの人が羨ましい限りです。まあでも、そういう人は少ないと思うけど。以前に勤めていた会社の社長が面白い人で、新年会の席でぽつりと呟くんです――「忘年会は楽しい。でも新年会は憂鬱だよ」と、社員の士気なんかお構いなしに「ンハァ〜」っと大きな溜息を漏らしたのでした。
 それに五日のラヂヲ(この表記は和田ラヂヲの影響です。大ファンでした)を終えて中一日で現実に引き戻されたことで憂鬱感も倍増されたというわけです。
 今回のラヂヲのリスナーは予想よりも多くて、二十人強となりました。延べ人数ならば少ないんですけど、終始二十人台をキープしていたことに驚きました。五時間もパソコンの前に張り付いていること自体が凄いわけで。
 赤の他人のネットラジオは聴く気が起きないんですけど、ネットで絡んだことのある人が放送するのなら、ぼくも聴きたいです。みなさん、やって下さい。
 たぶん『です吉ラヂヲ』は、他のネットラジオに比べて格段に音が良いはずです(声が聞き取りやすい)。これはビットレートに依存する前の音の良さです。これからネットラジオを始めるあなたにコツを教えましょう。
 用意するものは以下の三つです。
 
・安価な全指向性コンデンサーマイク
・安価なミキサー(ファンタム電源も兼ねて)
・安価なコンプレッサー
 
 メーカーは何でもいいし、もちろん中古でも構いません。八千円のダイナミックマイクを二本買うなら、同じ金額で中古のコンデンサーマイクとコンプレッサーを買うべきです。もっとも、普通の人がこれらを揃えるのは面倒だし高コストなので、バンドをやってるお友だちに借りましょう。
 勘違いしてサウンドカードを買う人がいますが、ネットラジオにおいてはまったくの無意味です。パソコンに入る前の音がすべてなので、パソコン自体のスペックは不問です。
 今回、我々はツッコミをわかりやすく伝えるためにピコピコハンマーを用いましたが、これもコンデンサーマイクに依るところが大きくて、ダイナミックマイクだと音は拾いません。拾ったとしても、エアキャップを潰したような小さい音になってしまう。
 余談ですが、このピコピコハンマーはテレビでよく見るタイプの物ではなくて、柄が十センチくらいの短くて小さい物でした。百均にはそれしか売ってなかったのです。
 幅六十センチのちゃぶ台を挟み向かい合って話しているので、そのままだとハンマーが届かないわけです。ですから、叩かれる方は腰を上げて近寄らなければなりませんでした。たとえば「青天井のくだり」では、ヒロ吉さんは腰を上げたままの体勢だったわけです。目をキラキラさせて「ぶって! ねえ、ぶって! おねがい! ちょうだい!」と、姫井由美子議員のようにせがむのでした。
 そういえば、なんか、ぼくのガラが悪いように思われていますけど、それは間違いであると断言しておきます。漫才やコント然り、どちらかのガラが悪くないと、こういう形態の表現は成立しにくいのです。ましてや音声のみとなると尚更です。ですから、ぼくは悪役に甘んじたのです……そう!――紳士ほど、苦汁を好むのです。
 そんなわけで、聴いてくれたみなさん、愛してます。
 聴きながら掲示板に書き込んでくれた人には、最大限の幸福が降り注ぎますように。
 書き込んでないけど聴いてくれた人には、最小限の幸福を。
 聴いてないけど書き込んでくれた人の枕の下には、瀕死のハンミョウを。
 関心がないのにこのエントリを読んでいる人の寝顔には、スパゲティの茹で汁が降りかかりますように。
 そう心から祈っています(だからリスナー増えないんだよ)。
 


 
 空気的にはここでエントリをやめるべきなんだけど、ちょっと書きたいので続けます。
 二〇〇六年八月に福岡で起きた、飲酒運転の追突で三児が死亡した事件の公判が開かれて、懲役七年六月(求刑二十五年)言い渡されたようです。
 検察側は、危険運転致死傷罪の上限である二十五年を求刑したので、国民も二十年以上を“期待”していたんだけど、結果はその三分の一以下だった。
 心情的にはとても腹立たしい判決なんだけど、ここは少し冷静になってみたい。
 加害者は、しこたま酒を呑んで、そのまま車を運転してガールハントに向かい(ナンパでいいだろ)、追突事故を起こし、逃亡して、なおかつ友人に身代わりを依頼し、断られたので水を持ってこさせてそれを飲んで隠滅を謀り――と、麻雀の役でいえば完全な役萬で、刑でいえば上限の二十五年が相応なんだけど、福岡地裁は「危険運転致死傷罪には相当しない」と判断した。
 なぜか?
 ここで、「市職員のコネによる圧力が働いている!」という疑念は、最も安易な憶測だろう。いままで危険運転致死傷罪を適用されて懲役二十年以上を喰らっている犯罪者は何人かいるが、彼らは歩道や横断歩道という“安全地帯”の人間を轢き殺しているから適用された。それはつまり「正常な運転が出来ない状態」で、故意の殺人を意味する。
 今回の今林被告の場合は、少し色が違う。まず、人を直接轢いていない。言ってしまえば、「現場がたまたま橋の上で、車の中にたまたま子供が三人乗っていた」との見方もできる。更に、血中アルコール度数が「酒酔い」ではなく「酒気帯び」と認定されている。これは警察という国家権力が公表している。
 問題は、加害者の行動だ。事故の直後に逃走して、大量の水を飲んだ。これは証拠隠滅に当たると思われるが、現在の刑法では「水を飲んだくらいじゃ血中アルコール度数は変化しない」という算出が“あるらしい”ので、適用されない。もちろん、轢き逃げは適用されている。
 つまり、今林被告は業務上過失致死傷罪の上限である五年と、ひき逃げが加重されて、現在の法律のMAXである七年六月を言い渡されたわけだ。
「じゃあ、飲酒運転で事故った場合、その場から逃げて水を飲めば刑は軽減されるんだろ?」との疑問には、「その通りです」と答えるしかない。なぜなら、それが現在の法律なのだから。法治国家は感情に左右されないもので、そのクセ社会的影響を考慮するという矛盾に満ちています。
 ぼくがこの事件でいちばん気になった点は、加害者が(同乗者含む)すぐさま海に飛び込んで子供たちを救出したあと、呼気のアルコール度数が“酒酔い”だったのなら、一体どうなっていたのかということ。たぶん、七年六月以上の刑に処されたはずです。
 法というものは弱者救済のために布かれたものと思われていますが(ぼくもそう思っていました)、古代を顧みれば搾取のための権力者の令でありまして、現代においてもそれは脈々と受け継がれているわけで、たとえば、熱くない花火のような爽やかな革命がおこったとしても、またそこから暗い歴史が始まるわけです。
 
 たぶん、検察は控訴しないでしょう。いまの法律じゃ難しい。
 で、模範囚の今林クンは、五年で仮出所するでしょう。未決勾留を加味して四年かしら?
 今林クンは男前なので、出所後すぐに結婚します。地元の怒り? 出所後は他県に飛ぶし、苗字は簡単に変えられますし、事件は数年で風化します。心配はいりません。
 晩酌の後、枕を抱えた子供たちが「パパ、おやすみなさい!」と、いつもの挨拶。
「あぁ、おやすみ。いい夢みるんだよ」
 革張りのソファに沈みながら、吹き抜けの天窓越しに夜空を見上げる。罪悪感は、ない。あれは、ただの事故だったんだ。もう忘れよう。おれも父になったんだ。おれはおれで忙しい。
 十数年後、高校三年生の長男が「お父さん、ぼく自動車の免許を取りたい」と言った。今林クンは「うむ。なければ困るだろう、金は出してやる」と言った。
「ホント? いいの?」
「うむ。免許は必修だ」
 喜んだ長男が階段を駆け上がると、今林クンは「ちょっとまて!」と声を荒げた。
 長男は勢いを止めて、「パパ、なあに?」と不安そうに聞き返した。
 今林クンは咳払いのあとに、「うまくやれよ」と言った。