震えるハートの年輪

 
 今年は酒を減らすぞ、ですこです。いまのところ、いい感じ。
 
 午後に帰宅したあと、書類を探しに実家へ出向く。既に梱包されているダンボールの山から探さなければならないので結構な重労働だ。自宅とは違い暖房がガンガン効いて乾燥してるので喉が渇いた。冷蔵庫を開けると『サッポロソフト』という銘柄の甲類焼酎があった。はてはて。家族でこれを呑む人間はいないし、焼酎を冷蔵庫に入れることもしない。ふと居間を見渡すと、タッパーを灰皿代わりにしている形跡があった。この家の灰皿の在処はぼくしか知らない。うむむむ。どこのどいつが侵入しやがった、と頭を捻っていると思い当たった。
 年末に、「あたしゃ離婚するわよー!」と騒いでいた叔母がエスケープしてきたのだった。年末の御馳走も年始の雑煮も投げ出して来たのだった。そんな叔母の気持ちを、ぼくは少し解る。詳細は割愛するが、家の中がもう、めちゃくちゃなのだ。
 700mlほどの瓶に入ったサッポロソフトを取り出して見ると、残りは2cmほどしか無かった。そんなものを冷蔵庫で冷やしてる叔母は、夕暮れと同時に右手が震え始めるアル中である。
 
 昨夜、母から電話が来て「あんたデジカメ持ってるかー」と言われたので、「全部で4台あるぜー」と言うと、「あたしを撮ってー」と言うので、「葬式用の写真かー」と訊くと、「似たようなもんだー」というので、三脚とD70とGX100を持って病院へ出向いた。なんでも、交付される手帳に使う写真が必要らしくて、レントゲンやMRIはあるのに、病院には三分間写真が無いらしい。
 病室にはくだんの叔母も来ていた(仲良し姉妹なのだ)。「あのサッポロソフト、叔母さんでしょ?」と訊くと、「ありゃ、バレたか」と昔風のリアクションで舌を出した。絵に描いたような『テヘヘ』だったので、勉強になった。年季が違う。
「持ってきたぜ」とデシタル一眼を取り出すと、「ちょっと! デジカメって言ったじゃないの!」と母はキレ気味だ。「いや、これはデジカメだよ」と言っても、「それ、あんたが昔に使ってたやつじゃないの!」と納得しない。確かに大昔、EOS KISSで愛犬を撮りまくって、自力で現像とプリントをする日々もあった。どうやら母はデジイチの存在を知らないようで、コンデジ=デジカメと思っている。
 らちがあかないので三脚を抱えてロビーへ誘うと、「ちょっと! なにさそれ!」と狼狽えたので、「何って、三脚だろ」と言うと、「そ、そんな大袈裟な!」と言うので、「最期の写真だからね」と言うと、一瞬だけ空気が凍てついた。すかさず叔母に「叔母さん、死化粧おねがいしまーす」と畳みかけてやっと笑いが訪れたが、さっきまで眠っていた病室の人たちの眼が一斉に開いた。
 逃げるようにして、人気のない方のロビーで撮影を行う。こうして母を撮るのは初めてだし、撮られる母はさぞかし照れくさかったに違いない。何度チーズを合図してもふざけている。仕方がないので、シャッターを押しっぱなしにして連続写真の中からチョイスすることにした。一応、GX100に切り替えてみると案の上「それそれ! それがデジカメじゃないの!」と嬉々としたので、たっぷり撮ってやった。
 帰宅後、D70とGX100の画像を比較してみた。悲しいかな、GX100の方が写りが良い。たぶんレンズのせいだろう。D70のレンズは安物の銀塩互換で、GX100がデジタルに特化しているせいか、カリッカリにピントが良い。うーん、いいカメラだ。つーか、デジイチの良いレンズが欲しいぞ。
 まあいいや。フォトショでなんとかしよう。ついでにシミも消してやろう。ソバージュにしてやろう。全盛期のチャカ・カーンにしてやろう。
 
 帰りにスーパーへ寄る。少し前から感じていたが、原油高の影響で食材の値段が確実に上がっている。ボンカレーは88円から100円になり、カップラーメンの安売りがなくなった。個人的にいちばん驚いたのは、鰹節が248円から298円になったことだった。安売りのときは198円だったのに! ちきしょう!
 経済オンチのぼくが言っても何の説得力もないけれど、たぶん今がピークだと思う。春までにはガソリン税が下がると思うんだけど、どうなのかしら。
 
 レジに並んでいると、前に居る男性の長い髪の毛の艶がやたらと良いことに気づいた。よく見ると肩にフケがてんこ盛りで、その艶は不潔がもたらしたものだということが窺えて、眠っていた人間ウォッチング魂が飛び起きた。
 良く言えばヴィンセント・ギャロみたいな男性の前には、彼女と思わしき女性がいて、彼女は常に男性の方を見ている。つまり後方を向いているので、ぼくからは彼女の顔がよく見える。ギャロは三十代と思われたが、女は明らかに四十代、もしくはそれ以上だった。それはいい。愛に年の差なんかない。いや、親子かもしれない。
 不可解だったのは、女の口が小刻みに動いていることだった。なにかをしゃっべっていることはわかるが、まったく聞き取れない。
 スーパーの店内は、販売促進のBGMやらで意外とうるさい。精神を集中して、耳を澄ます。
 瞼は自力で閉じることができるし、眼は狙いを定めることができる。
 それができない聴覚は、聞き分けることで発達してきたに違いない。耳は、引き算ができる。
 蚊の鳴くような小さい声を、短波ラジオのチューニングを合わせるようにして慎重に聞き入っていると、だんだんと聞き取れるようになった。というか、同じことを反復していた。彼女は、もの凄く小さな早口でこう言っていた。
 
「おねがいあたしをすてないでぜったいにほんとうにすてないでおねがいあたしをすてないでぜったいにほんとうにすてないでおねがいあたしをすてないでぜったいにほんとうにすてないで」
 
 ずっと。もう、ずっと。
 レジが進んで、女の番になる。ギャロはそこから離れて、カゴから袋に詰めるスペースで会計が終わるのを待っている。
 女は、レジの人にもさっきの呪文を繰り返していた。レジの人が顔を寄せて「はい?」と訊いても、呪文は淡々と繰り返された。畏怖しつつも諦めたように逐一金額を告げるレジの人の義務と、女の呪文が交錯する。
 レジの人が合計を告げると、急に女の背筋が伸びて、せわしなく財布をまさぐり札と小銭を皿に載せた。
 おつりは札のみだった。レジの人が札を差し出すと、女は長財布を拡げて「ここに入れてくれる?」と言った。打って変わってずいぶん大きな声だった。レジの人は少し狼狽えてお札を入れた。
 
 順番が廻ってきたぼくは、ガッツポーズのまま放心していた。そしてすぐに後悔した――買い物カゴの中身をよく見るべきだった、と。
 ひとつだけ憶えているのは、カゴの中に源氏パイがあったことだ。