頑張れ! コームイン!

 
 オールバック、ですこです。
 午前中に終業する。働いていないわけじゃない。代わりに休日がない。大量の書類を持って実家近辺の役所と社会保険事務所へ向かう。外は吹雪だったが、凍結路面よりも圧雪のほうが遙かに安全で走りやすいのだ。うむ、やっぱりスタッドレスタイヤの評価は凍結路面でしか発揮されないね。7年物のスタッドレスでもキビキビ走る。むしろアクセルを開けてスピンするのが楽しい。追突しそうになったら? 迷わず雪山に突っ込むよ。廃車上等。これ、オンボロジムニーならではの利点です。ボロい方がかっこいい。
 途中、以前から気になっていた『あ○』という変な店名のラーメン屋に行ってみる。どうやら由来はビートルズの「アビーロード」らしいが、それしても『○び』って!
 噂によると、掟ポルシェが赤フン一丁で来店したらしい(写真は見た)。強面の店主だが、ポイントカードの説明やら、「チャーシューはしばらくスープに沈めてから食べてね」などと、見かけによらず饒舌だった。頑固親父というよりも、真面目な人なんだろう。ぼくは即座に好感を抱いた。
 肝心の味は――コホン、普通でした。でも店主のポイントは高い。
「旨いけど店主がダメ」と、「旨くはないけど店主は良い」、これは考察するべきことで、たとえばそれがBARだったのなら圧倒的に後者を選ぶんだけど、凝ったカクテルバーでもない限り大抵のバーは酒瓶からグラスへ直行するわけだから、主に味を求めるラーメン屋との比較は無理があるのかもしれない。
 けれど、旨いラーメンを開発してそれを作り続けることは簡単なことだと思う。フランチャイズ然り、完全に形が決まったものなど、ロボットでも作ることができる。
 それに比べると、毎日元気に、分け隔て無く接客するほうがよっぽど労力を費やすのではないか。でも、そのラーメンはあまり美味しくない。
 さて、どうしてくれようか――答えは3分後(カップかよ)。
 
 昨今、それまで横柄だった昔に比べると役人の態度が一変している。好感的というよりも、ほとんど怯えている。不景気の世の中ではそれが役人の役回りなので仕方がない側面もあるが、集団ヒステリーを起こして「役人は全員なまけものだ!」という風潮はいかがなものかと思う。事実、母の代理としてよく役所に出向くが、みなさん漏れなく聡明かつ俊敏だ。民間企業の比じゃない。
 毎日同じ仕事をやっているからなのかも知れないが、こちらが話している間、彼らは常に三歩先にいる。真面目に仕事をしているし、おそらくは帰宅後もシュミレーションしているに違いない。
「ケッ! 俺だって残業してるぜ!」という民間人の行き場のない怒りの矛先を、末端の役人に向けるべきではない。末端が鬱屈しているのはみんな同じなのだ。怒りをぶつけるべき対象は、もっと上にいる。官民問わず上層部の人間は「嘘をつく能力だけが異様に発達してる」のだ。あなたの上司にもそんな人がいるでしょう? そんな国に未来があるわけないでしょう。
 さて、どうしてくれようか――答えは3分後(カップ麺食べてすぐにオナニー)。
 
 ぶっちゃけ、大袈裟に言えば、革命が必要なんです。真面目な人間が糾弾されるだなんて、そんなばかな話があってたまるか! ぼくはやりますよ。ひとりでやります。一匹の蝶々の羽ばたきが(蛾でもいい)、遠くで台風を巻き起こすんです。
 
 役所といえば、想い出すエピソードがある。
 十代の終わり、すでに労働をしていたぼくのもとに一通の封書が届いた。見るからに公的文書で、中の紙は赤かった。当時は読めなかったが「督促状」と記してあった。愛想のない象形文字が戦後の進駐軍を想起させて、怖ろしかった。財産をすべて差し押さえられると思ったので、母には内緒にしておいた。
 翌日、なけなしの金と督促状を握り締めて区役所へ向かった。おそるおそる受付に差し出すと、「少々お待ち下さい」と言った中年女性が、奥へ引っこんだ。幻覚かもしれないが、彼女がまるで身内の訃報を知ったときのような急ぎ足に見えた。
 すると、今度は若い男性が「こちらへどうぞ」と、ぼくをオフォスの奥へいざなった。連れて行かれたのは、パーテーションで区切られた四人掛けのテーブルだった。ぼくはすぐさま、交番の取調室を想い出して緊張した――「あのヘビースモーカーみたいに(銘柄はキャスターマイルドだった!)、調書を挟んだ黒いバインダーで頭をバシバシ叩かれるんだろうか」。
 現れたのは、いかにもお偉いさんという雰囲気を保った灰色の紳士だった。彼は深々と一礼して席に着いた。
 洗濯機を回して自力で染めたジーンズとジージャン姿のぼくと、グレーのスーツを纏った熟年男性が向かい合っている。
 しじまが訪れる。
 テーブルの上に、中指を伸ばしてそっと督促状を差し出すと、彼はそれを両手で持って見つめている。
 そのまま数分経った。
 予めちょうど用意しておいたお金を差し出すと、彼は両手でそれを受け取って「少々お待ち下さい」と言って席を立った。
 その隙に財布の中身を確かめた。延滞料が不安だった。
 彼はすぐに戻ってきて、立ったまま両手で紙をぼくに渡した。紙には大仰な印鑑が押されていた。「こりゃやばいな」と思った。なにかの烙印だと思った。
 そのまま数分経った。
「あのう」ぼくが切り出した。
「はい、なんでしょう」紳士は直立不動だった。
「延滞金は幾らですか?」
「いえ、発生してません」
 ぼくはキツネにつままれた。
「でも、この紙、赤いですよね?」
「はい、赤いです」
 しじまが訪れた。
「ぼくはどうしたらいいんですか?」
「どうしたらと申されましても」
 再度、しじまが訪れた。
「帰っていいんですか?」
「はい、ご足労頂きました」紳士の顔が急に晴れた。
 
 母と夕食を食べながら、一連の経緯を告白した。
「もう家財の心配はない」
「は?」
「今さっき、差し押さえを回避してきた」
「ウチに借金はないわよ」
「お国からアカガミが届いたんだ」
「あんたなにいってんの?」
「隠していたが、住民税の赤い紙が来てね」
「ああ、督促状かい?」
「トクソクジョウって読むのか」
「で、どうしたの?」
「平身低頭で役所に行ったさ」
「ブッ! ふんふん(既に笑いを堪えてる)」
「そしたら奥に連れて行かれた」
「プッ」
「したっけお偉いさんが来てさ」
「プゲラ」
「やばいなと思った。あの時は」
「プハ! で?」
「おつかれさん、だって」
「キャハハハハハハハハ!」
 母は堰を切ったように爆笑していた。

 その支払いを、金融機関で済ませることができるのを知ったのは、つい最近です。