ますますわからない

 
 むきかけのリンゴ、ですこです。
 
 終業が早かったので、先月末に届いたノートPC用のメモリを友人宅に持っていこうと思い立つ。おうそうだ、512MBも増設したらゲームもできるな、そうだnessnesmameをDVDに焼いて持っていってやろう。懐かしさに噎び泣くに違いない。そうだ、どうせ使わないUSBゲームコントローラーもくれてやろう。あいつ、mameに感動するぞー。なんたって一番アーケードでやり込んでいた時代の、あのゲームたちがそのまんまプレイできるんだからな。戦場の狼魔界村等々、あの時代のカプコン神ゲーばかりだった。どちらも1985年リリースだから当時のぼくたちは中二で、長崎屋の2階にあったゲーセンを占領していたっけ。またそのゲーセンが変わった所で、スロットマシンで稼いだコインを使ってゲームをプレイできるというシステムだったから、1000円もあれば何時間も遊べたんだ。タネ銭がなくなったら、通りすがりの人に借りればいいし、無限ループだったな。そんな風に放課後のカバンを放り投げてゲーセンに通う毎日だった。ぼくはその日、ゼビウスを夢中でプレイしていた。スタンウェイ少将を司っているのは俺だ! そしたら突然、目の前が真っ白になった。バグではなさそうだった。視界が開けてくると、テーブル画面の上にポタポタと血が垂れていた。唇を舐めてみると鉄の味がした。顔を上げて辺りを見渡すと、一人の男が大立ち回りを演じていて、友だちがもれなく面白いようにブン殴られていた。彼女や女子たちがシクシク泣いているのを見て、ぼくはやっと事態を把握した。どうやら最初に殴られたのはぼくで、一瞬気を失っている間に、座頭市勝新よろしくもの凄い速さでばったばったと仕留めていったようだ。男は完全な大人で、風貌はいかにもチンピラだった。“足長ブロッコリー”みたいに伸びたパンチパーマが余計に恐怖を誘って、どんな弁解も通じそうにない形相だった。「こりゃまじでやばいな」と思ったが、視線を落とすと画面では丁度“ソル”が出る場所だったので、こっそり狙い撃ちしておいた。聞けば男は長崎屋の駐車場スペースを間借りしてたこ焼き屋を営んでいるいわゆる香具師で、屋台の屋根の上に雪玉を落とされたことに激昂し、いつもゲーセンに集っているぼくらを犯人と決めつけて報復の対象としたようだ。テキ屋がその筋の人と関係が深いことくらい、ぼくらは全員知っていたのでそんな無謀なことをするはずがない。いつしか誤解はとけて、タダでたこ焼きを貰った。甘辛ソースが傷口に沁みたっけ――。
 
 そんなろくでもない想い出がたっぷり詰まったアーケードのR○MやらをDVD-Rに焼こうとHDDをチェックするも、肝心のDVD-Rがない。80枚くらいあったDVD-Rは映画のピーコで消えてしまっていた。CD-Rにはとても収まりきらない。なんか、メモリだけを持っていくのは不本意だった。ぼくは彼と、たこ焼き屋の兄ちゃんに殴られた話を共有したかった。かといって週末で混雑しているビックカメラまで行く気は起きない。ぼくはすっかり出鼻をくじかれてしまった。だからまたこんど完全なかたちで仕切直すことに決めた。
 そうこうしているうちに、陽が落ちてきた。そういえば朝からなにも食べていない。先週からスーパー断ちをしていた家の中に食材はほとんどない(古いふりかけしかない)。
 ぼくは既にわくわくしていた。スーパー断ちの禁断症状が出始めていた。最初は「お洒落にするぞー」と張り切って吊していた6×8のウォールポケットも、今となってはごみ箱に等しい。その中に、母の遣いで頼まれて購入した100枚の年末ジャンボを入れていたことを想い出した。もちろん既にチェック済みで、当選合計金額は6000円ぽっちだった。けれど、もしかしたら見落としがあるかもしれない。宝くじ売り場では機械による“完璧なふるい”があるらしいじゃないか。
 滅多に行かない西友に行って、敷地内にある宝くじ売り場でふるいにかけてもらうも、やっぱり6000円だった。落胆よりも己のアナログ脳を誉めておくことにする。ちなみにその6000円はジーンズのポケットにねじ込んでおいた。
 西友にはきまって無印良品が在るので、ついでに寄ってみる。無印って、面白いなぁと思う。品質や価格の善し悪しはともかく、規格がずっと同じって凄いことです。「永く使って欲しい」という売り文句のほとんどは欺瞞だけど、無印はちゃんとそれをフォローしてる。言ってしまえば、ほぼ日の製品は無印の模倣ですよ。
 世間で“いちばん無難なブランド”はポール・スミスだと思うんだけど、あんな物を身に付けてキャッキャするくらいなら、無印の洋服の方がよっぽどいい。なにが良くてポール・スミスをチョイスするのか、まったく理解不能です。なにも考えたくない人のために無印はあるわけで、同じくなにも考えていない人がポール・スミスを選ぶところに、ぼくは違和感を覚えるわけです。
 あのー、ぼくなんかが言うのもなんだけど、バイヤー主体のセレクトショップは確かにクソなんだけど、日本のニッチの服飾業界って頑張ってると思うな。売れてないインディーバンドと同じで、素晴らしいデザインの洋服がたくさんあるよ。もういい加減に捨てようぜー、その「植民地魂」。
 不思議なんだけど、そこそこギターを弾けるやつがすぐにバンドを組むのに、かなりの裁縫の腕前を持ってる人がブランドを立ち上げないのはなぜ? サクっとやっちゃえばいいのに。誰も追いつけないくらいの、ものすごい軽薄さで!
 
「死刑執行のベルトコンベア」発言で物議を醸し出した鳩山法相になってから、死刑執行のペースが上がっているようです。
 死刑の是非についてはかねてから関心があったんだけど同じことは書きたくないので、興味のある人は日記内を「死刑」で検索して下さい。
 今回、執行されたのは持田孝死刑囚(65)=東京拘置所松原正彦(63)=大阪拘置所、名古圭志(37)で、ネットで氏名を検索すればヒットすると思うんだけど下記のデータベースが素晴らしい。
 
 死刑確定囚リスト
(テキストデータは満点なのに、構成とデザインで失敗している典型のHPですね。まったく勿体ない)
 
 こうしてデータを見ていくと、現在は再犯による死刑判決が過去に比べると減少していることがなんとなくわかります。刑が重くなったのではなく、初犯の凶悪犯罪が増えているんですね。人を裁く法にも“判例”という基準値があるので、これからはその判例に従って初犯でも死刑になる確率は増していくでしょう。
 このデータベースを読んでいちばん驚いたことは、現時点での死刑確定囚が約100人ほどいることでした。「これしかいないの!?」というのが正直な感想です。100/120,000,000です。つまり、119,999,990の人々が「あの100人を殺っちまえ!」と叫んでいる。これは怖ろしい。なにも関係のない人たちが「あいつを殺せ!」と、たこ焼き屋の兄ちゃんみたいな形相で絶叫している(みんなポール・スミスを羽織って!)。
 
 今回の執行では、持田孝が犯した罪は最凶にして最低だと思うし死刑は妥当だと思う。けれど、彼を殺したところでなにが変わるのか? そして“誰が彼を殺すのか”が問題です。踏み込めば、死体の後始末を誰がやるのか? それをやるのは持田と同じ末端の人間ではないのか? 国家は、報復の権利を取り上げたにもかかわらず、その後始末を誰に押し付けているのか? なにより、国家はその原因が自身にあることを認めない。
 
 執行後の死刑囚の“新鮮な臓器”を摘出をすることを認めている中国国家は、1992年にこう表明しています――「我が国ほど臓器のストックがある国はないであろう! ワハハハ!」と。
 さすれば「毒入り餃子? ハハハハ! なにをいまさら! こりゃおかしいやワハハハ! 臓器、高く買うよぉ?」ってなもんや三度笠なわけで。
 
 命って、いったい何なんでしょうか。