ですこ的傍聴のススメ

 
 普段ならば、休日の前夜は人事不省になるまで呑みあげ、午後に起床してお見舞いに出掛けていたが、最近は外でしか呑まなくなった。これはいよいよダイエットが真剣味を帯びている証拠であるし、自宅での食事制限を始めてから既に2週間が経過している。まだ他人が見ても判らないだろうが、確実に痩せてきているのを実感している――心がである。嗚呼、カツカレーが食いたい。廃油を飲み干したい。
 
 昨夜は“赤本”を再読しているうちに眠ってしまった。目が覚めたきっかけは、カラスの鳴き声だった。最近、これはとても厭なんだが、夜中にカラスが鳴く。べつに不吉だからというわけではなく、早朝と勘違いしてしまうことが意外にストレスなのだ。
 起き上がって時計を見ると、朝の5時だった。
 二度寝はせずに朝食を作る。ダイエットを始めてから朝食を摂るようになったのだ(トースターだって買ったさ!)。トースト1枚、目玉焼き、トマトとセロリ、ハチミツ入り紅茶――なんというモーニングだろうか。
 つまらない朝のニュースを見ながら、ふと思い立つ。無駄足を踏むのも嫌なので電話で確認する。
「今日の予定を知りたいのですが?」
「申しわけ御座いませんが、開庁後にお掛け直し下さい」ワンコールで出た男が言った。
「何時ですか?」
「8時30分です」
 あと15分だった。とりあえずおやじのシャワーを浴びて、再度掛け直す。
「今日の予定を教えて下さい」
「はい、少々お待ち下さい」今度は交換手と思われる女性の声だった。
 とりあえず煙草に火を点ける。
「お待たせしました。民事ですか、刑事ですか?」
「刑事」
「では申し上げます」と交換手はずらずらと捲し立てた。
「あ、もういいです」
「まだ御座いますが」
「いえ、充分です」
 
 ボロッカスのジーンズと、背中にクロスボーンを背負った革ジャン姿で家を出る。要するに普段着である。但し、カメラは御法度だ。
 裁判の傍聴を特別な出来事と考える人が多いようだが、コンビニに煙草を買う気軽さで行くべきだし、時間潰しに本屋で立ち読みするくらいなら、裁判所で“立ち聞き”する方がよっぽど面白いし、それは文字通り傍聴なんである。
 
 一階ロビーに貼られている開廷予定を見て、めぼしい裁判を選ぶ。殺人を始めとした重罪は抽選されることがあるが、その場合はあらかじめネットで知ることができる。札幌などの地方都市で行われている裁判のほとんどはたいした罪ではないが、それは必ずしもドラマがないということにはならない。微罪にもドラマティックな瞬間がある限り、傍聴マニアは今日も足繁く通うんである。
 
 とりあえず詐欺を選んで7階第13法廷に行ってみる。内容は審理。狭くて傍聴席が24席しかないのは、地裁だからである。傍聴人はぼく一人で、開廷と同時に被告と弁護士とその家族が入ってきた。被告は20代前半と思わしき若者で、母親はサツマイモの皮みたいな紫色(あるいは高級なモンブラン)に髪の毛を染めている、異様に派手な女性だった。父親は被告とそっくりで(特に襟足の髪の毛の生え方)、ショーケン似の男前である。
 向かって左手が検察官だが、これがまた若く綺麗な眼鏡っ子だったので、萌えた。神経質そうな早口で被告が犯した罪を淡々と述べる。内容は案の定、「オレオレ詐欺」だった。
 じつは、知り合いに同罪で服役した人間を知っている。彼は堅気ではないし、地元では有名な組織の者だ。オレオレ詐欺の元締めはその組織が行っていることを、被告の親族は知らない様子だった。それは弁護士のフォローに対していちいち頷いていたことから窺えた。
 罰金刑の前科ありで、求刑懲役3年。おそらく控訴は棄却されるだろうが、執行猶予がつくだろう。
 そこまで聴いて、おもむろに法廷を出る。出入り自由なんです。何度でも出入りしていいのです。
 
 次は8階の第4法廷へ行く。ドアには覗き窓があって法定内を窺い知ることができる。さっきの倍の広さで、判事は3人、つまり高裁だ。壁に貼られている被告の名が古臭いカタカナだったので、老女であることが判るし、罪状は窃盗で、常習であることも窺える。
 そっとドアを開けて静かに座る。被告は前科数十犯、そのすべてが窃盗で、今回は仮釈放中に、やはり窃盗を犯した。場所は同じくスーパーであり、ブツはやはり日用品と食料だ。困窮ゆえの窃盗でないことは、被告が高級魚である『きんき』を盗んでいたことで決定される。きんきなんか、食ったことねえよ!
 齢八十越の萎んだおばあちゃんだった。傍から見ればごく普通のおばあちゃんである。だがしかし、彼女は前科てんこ盛りの、生粋の犯罪者なのだ。
 控訴棄却、懲役3年、仮釈中の罪なので当然実刑、猶予なし。判事は「上告できまっせ?」と言ったが、するはずがない。彼女は刑務所で死を迎えるかもしれない。
 
 どうして彼女は窃盗を犯し続けたのだろう? 絶対にバレると知っていながら、なぜ罪を犯し続けたのだろう? それも、ほとんど死ぬまで!
 実際に柵があるし、法廷での出来事は対岸の火事である。けれど、人がなぜ過ちを犯すのかを考えることは、ぼくが最も興味のあることであり、文学のテーマであるとさえ思えてしまう。
 傍聴というのは、たとえば別冊宝島の対極にあるといえる。たしかに本という知財は素晴らしいが、傍聴という“ライブ”に比べると弱い。本は妄想を刺激してくれないし、妄想で書かれた本は、妄想の仕方を教えてくれても、妄想そのものを喚起しない。
 小説という虚構の産物が、じつは圧倒的な肯定で成り立っているのも、不合理な現実があるからだ。
 そういう意味でも傍聴はじつに面白いし、無料ライブが毎日行われていることを利用しない手はない! みんなも気軽に傍聴しよう!
 
 静かな法廷で腹がグーグー鳴り始めたので、潮時ならぬ飯時を感じて徒歩15分で帰宅する。お昼ご飯を自炊して、赤本再読の続きを始める。
 本を掲げてベッドで仰向けになっていると、喜びが沸騰してしまい、赤本を天井に放り投げた。
 自分が、もの凄く自由であることを実感した。なんなら、いますぐにでも罪を犯せるんだぜ!