長い妄想

 
 久し振りにパトロールで実家へ出向く。異状なし。ちなみにこの場合、〈異常〉ではない。こうして、見落としやすい誤字・誤用の勉強もできる素晴らしいブログであることに、あらためて感嘆したのだ(おまえがかよ)。
 
 帰りに、特に用はないがブックオフへ寄ってみる。かつて爆発的にヒットしたローリン・ヒルのCDが200円だったのですかさず保護し、楠瀬誠志郎のCDが100円で売っている現実に、妙に納得する。
『ほっとけないよ』がヒットしたのは1991年、当時のぼくは日本の音楽界を「クソだらけだ!」と強く憎んでいた。かといって洋楽にもこれといった音楽はなく、苦虫を咬みながら過去の音楽を貪るように聴き漁った。それは、JSBXとBECKが出現するまでの94年まで、およそ3年間続いたが、いま想えばそれで良かったのだろう。
 たぶん今でも楠瀬誠志郎さんのファンはいると思うんだけど、そのファン心理を窺い知ることはできないが、そういう人たちは一途というよりも、わざわざそういう人を発掘して愛でているんじゃないかなと思う。それは自分が枯れていくことの投影かもしれないし、もうひとつは、こういう人は「自己完結型人間を嗤うことができない」と思われる。「自己完結型人間の面白さ」というのは確かにあって、それは長嶋茂雄であったり、志茂田景樹だったりすると思うんだけど、彼女たちにはその面白さがわからないんじゃないかな。
 挙げた人たちは成功者だけど、一般社会においても自己完結型人間は存在するわけで、そうなるとぼくなんかは避けてしまうだろうし、そこに笑いを見出すことは難しいと思う。では彼女たちはどうするのかといえば、同情に近い感情を抱くのではないかと推測する。相手が望んでいないのにもかかわらず救いの手を差し伸べるかもしれないし、極例を挙げれば、見ず知らずの凶悪犯罪者に獄中結婚を申し込むのも、こういう人なのかもしれない。それが宗教的慈愛の発露でない場合の不可解さは、笑いの対極にあるのかもしれないし、むしろ恋に近い。言われてみれば、恋はいつだって自己完結の準備をしている。
 こういうことを書いているぼくこそが、自己完結型人間なのかもしれない。
 
 ついでに買った本がなかなか面白かった。
 グラハム・ベルが電話の発明をしたことは有名だが、その経緯については知らなかった。
 ベル一族は代々『スピーチセラピスト』という、失語症や吃音を対象とした職業に就いていた。父の代になると先天性の聴覚障害まで拡大していき、独自の〈視話法〉というスタイルを確率する。そこの講師として働いていたベルは、生徒の少女に恋をしてしまう。
 ベルは考えた。
「なんらかの方法で話し手の声の振動を、相手の体の一部に伝えることができないだろうか?」
 手話や視話法で伝えるのはもどかしかった。なぜなら、ベルは異様に人付き合いが苦手な人間で、いつも独りでピアノを弾いているような男だった。
 想いを伝えたいという情熱によって、ド素人にもかかわらず、2年後にベルは電話の基本設計を完成させた。
 その後、富も名声も得たにもかかわらず、ベルは孤独だった。夫人はベルに「あなたには人の心がわからない」と諭したが、ベルにはそれがまったく理解できなかった。著者は「ベルがアスペルガー症候群だったのではないか」と書いている。
 ベルはストレス性過食症のためか、136キロの巨体で独りピアノを弾きながら死んでいった。
 この話は皮肉というよりも、必然だと思う。
 以前から疑問に思ってたことなんだけど、他人同士が結びついてちっこい精子卵子がひっついて生命が誕生するわけだけど、そんなちっこかった細胞が母胎の中で数千グラムまで膨らむということを考えると(ちなみにぼくは3800グラムのジャイアントベビーでした)、「みんな同じなわけねーだろ!」と思うなぁ。やっぱりどこかでエラーがあるだろうし、液晶テレビドット抜けじゃないけど、やっぱり小さい不全はあって当然じゃねえかと思う。
 いまでこそ、特に精神病は細分化されて色んな病名が“発明”されてるけど、そんなの当たり前じゃねえかと。で、酷いやつになるとDSMをちょっと囓ったくらいで「うーん、キミは解離性同一性障害の気があるねェ」とか得意気に言ってるおまえがパラノイアなんだよ! という、見えない水鉄砲合戦はもうやめないか。
 月並みだけど、完璧な人間像は幻想であるということと、欠落は突出であるということ。あとはね、人は人の長所とだけ付き合えばいいってことだよ。もうね、許すとか許さないのレベルじゃなくて、完全無視! ぼくは、これが『大人』っていうことだと思うよ。いやマジで。
 ですからみなさんも、ぼくの短所は完全無視するよーに! お前ら大人なんだろーが! こらっ!
 
 チベット問題はあまり詳しくないんだけど、随分と前からロックイベンドでは「フリーチベットぉぉ!」とかはやっていて、それは『ロラパルーザ』というイベントでもやっていたはず。先鋭的なミュージシャンが集うアメリカ主導のイベントだったんだけど、なんでアメリカがこの時代からチベットに関心を寄せていたのかといえば、ヒッピーブームの名残だと思うな。ティモシー・リアリーや『チベット死者の書』の影響がいまだに根付いていることに、ぼくは嬉しくなったわけだ。
 一方、日本はといえば、餃子やらなんやらで急に中国を叩き始めたね。それまでなんの関心もなかったのに、植民地魂が沸騰したのか、星条旗のくりからもんもんを拒絶しつつも、突然追従を始めるこのスネオ根性! さらにチベットの歴史を知らずして、江原ナントカのスピチュアルに傾倒する始末!
 まあでも、そんなもんでしょ。ただの野次馬根性だよ。魂が永遠無垢ならば、国もテレビもいらないからね。
 
 そうしてチベットが少しずつ中国化していくように、日本にも外国人が入ってくるだろうし、現に労働者として受け容れている。それを阻止することは不可能だし、阻止する必要もない。
「多言語を使えます!」という人は賞賛されるけど、ラテン由来の言語だとそれは方言に近いわけで、「イタリア語もフランス語も話せます」というのは、「北海道弁も九州弁も話せます」ということと同値であって、特に褒めるべきことじゃないことを知らずして「えー、凄いですね!」との感嘆は、まさしくアジアの猿だ。
 これは、英語ができない負け惜しみではない。英語を話す必要がないのだ。じつは、ぼくは中一まで英語の成績が“5”だった。小学生の頃から英語に興味があったが、「ディス・イズ・ア・ペン」に続く「ディス・イズ・ア・ベース(花瓶だったかな?)」の授業を受けて、とことん無意味だと思い、やめた。球拾いにはうんざりだった。
 考えてもみようじゃないか。どこかの英語教室は潰れたが、それはほとんどホストクラブ化していたと思うね。じつは英語なんかどうでもよくて、異国の人と接したいんじゃないかな。そういったある種の本能があると思うし、そこまで積極性があるなら、本来の目的だったコミュニケーションツールとしての言語なんかは、どうでもよくなってしまう。ゆえに英語教室は潰れて、それ以前の段階で既にコミュニーケションは行われていたと考えるべきだろう。
 こうなると、二足歩行を始めた原始の段階の人間がコミュニーケーションをはかろうとした場合、いちばん古い言語はジャスチャーを含む手話だったのではないか。触れてしまえば“伝わってしまう”という危惧が、言語を生み出し、ラブレターを考案し、電話を発明したのかもしれない。
「触れるか触れないかの狭間にあるもどかしい快感」、これはクリトリスも亀頭もコブシもクチビルも同じだ。みんな同じだ。
 そういうふうにおののきながら、世界がちょっとづつ交わっていけばいいじゃねえか、とぼくは思う。