あたしのあした
最近やたらとブラウザがフリーズするので、IE7にしてみる。
IE6の時には複数のブラウザを立ち上げていたんだけど、タブブラウザと言っても結局は複数のブラウザが動いているだけのような気がする。下部のタスクバーのあった複数のIEが、上部のタブになっただけじゃねえか。
よって、不要になったページをブラウザごと閉じてしまう癖がなかなか抜けず、タブの利便性をほとんど感じていない。でも慣れるとなかなか便利かも。少なくともぼくの場合はフリーズを回避できました。Flickerにログインできなかったのよね。
めったに行かないセブンイレブンへ煙草を買いに行く。現在、700円につき一度のクジが引けるんです。煙草にも適用されるので、ドカンと3カートン買っちゃえば10回以上クジが引けるのです。ハズレクジは無いので、帰りの袋はパンパンです。ぐへへへ。
もはや飽和状態なのか、どんどんとコンビニが潰れているようです。それに一役買っているのはスーパーの深夜営業であり、常に定価売りをしているコンビニが淘汰されるのは当然で、この物価高によってさらに加速するでしょう。
コンビニの売りは弁当かも知れませんが、それもすぐに飽きてしまいます。実際ぼくもコンビニ弁当に飽きて自炊を始めたクチですが、慣れてくるとどんどん腕が上達してきやがりまして、知らないうちに料理が好きになっていきます。調味料や調理器具を揃え始め、いつしか味の素の詰め替を行わなくなります。
自炊というのは人間にとって良い行いだと思います。あれこれ試行錯誤した末に作った料理が不味かったときはショックですが、それは出来合いの物が不味かったときとは明らかに違う、爽やかな失敗なのです。大仰な言い方をすれば自炊というのは、食欲という本能に直結しているクリエイティブな作業である、と言えましょう。
確かに自炊は面倒ですし、時間も掛かります。けれど、時間を捻出してわざわざ面倒なことをやるからこそ価値があるのです。多くの場合、価値あるものは時間の濃度に依存しており、時間とは“そういうもの”なのです。
二時間かけて作った料理を五分で平らげてしまう――ここで諸行無常のゲップが鳴るのです。ゲフッ。
いまさらですが、硫化水素による自殺が後を絶たないようです。練炭では生存率が高すぎたのか、一瞬でノックダウンできることが硫化水素の特徴らしい。
毎年三万人の自殺者がいるということは、毎年三万人規模の町が消滅しているということです。そう考えるとギョッとしてしまいますが、人間は意外とたくさん人間を産んでいて、十万人の都市が十二万人に増えていたりもします。
2004年の統計ですが、自殺者の内訳を記しておきます。
・年齢別
60歳以上 10,994
50歳代 7,772
40歳代 5,102
30歳代 4,333
20歳代 3,247
高校生 204
小中学 80
理由別ですと、健康問題が半数を占め、残るは家庭や職場、男女関係や学校問題となっており、すなわち自己と他者の問題――って、当たり前ぢゃい!
「人命は地球よりも重い!」などというキャッチフレーズが欺瞞であることは、硫化水素自殺者に対する「自殺するなら他人に迷惑がかからないような方法でやれ!」という台詞によって証明されています。人命は、荒い鼻息に吹き飛ばされてしまうくらいに軽いものなのでしょうか?
“自殺の権利”が市民権を得たのは、鶴見済さんの著作からだと思いますが、かつての日本は自殺が犯罪でした。
徳川幕府は情死者の死体を野晒しにし、自殺が未遂に終わった場合には晒し者にした後に非人手下とした(ここでエタヒニンの問題も浮上するのだが)。
外国では、中世のキリスト社会は自殺を神に対する反逆とし、埋葬を許さず財産を没収した。
そういうふうに、かつての権力は自殺を許さなかった。
なぜか?
個人が死になじんでしまうと、権力の根底が揺らいでしまうからであり、権力とは、人間の死に対する恐怖心を基盤としているからです。
突き詰めていけば、ぼくは恐怖心によって生きながらえているのかもしれません。得体の知れぬ共同幻想に怯えているだけなのかもしれません。ぼくが自殺者にある種の羨望を覚える理由は、彼らが「ケッ! ばかばかしいや!」と硫化水素が充満したビニール袋を被って、それはあたかも宙を目指して独り飛び発った飛行士のような、あるいは破滅へ向かう宇宙船の中から脱出したかのような、そういった憧れを抱かないでもありません。
けれど、死の恐怖によってでしか人生を生きられないというのは本当に腹立たしいわけで、だからって自殺してしまうのはもっと腹立たしいわけです。
反権力とまでは言いませんが、そろそろ自分を生きてもいい頃じゃね? なんたって21世紀ですよ!?
ぼくは思いますよ。怒りや覚醒剤で明日を繋いだっていいじゃねえか、と。コメカミに青筋浮かべるのと血管に注射するのって、同じことですよ。胸糞悪いけど、明日がある。憎たらしい朝陽は、勝手に更新しやがるんです。
明日がね、あるんですわ。ロクでもないけど、明日があるんですよ。夢も希望もない明日がよぉ……明日は嫌いだけど、明日の夜は大好きさ! マブダチさ!
重松清さんの『疾走』を読み終えた。長かったけど、面白かったです。