作曲考

 
 残業、シメサバ、芋焼酎。銘柄は忘れたが(台所まで覗きに行くのが億劫)720mlで1,000円弱だったような気がする。
 いい加減いいちこに飽きたので芋に切り替えてみたが、これがまたウマイ。一晩で空けてしまう……恐るべし芋ロックとシメサバの最強タッグ。
 
 YouTube大村憲司さんの動画を漁るも少ししかない。AmazonでCDを注文する。限定紙ジャケは早くも絶版で、価格が高騰していた。
 関連動画を見ているうちに、80年代の歌謡曲たちに出くわす。
 当時まだ小学生だったので、なんとなく聞き流していたが、村下孝蔵さんの『初恋』がですこ耳をグワシと捕らえた。

 アレンジやビジュアルイメージは古臭いが、曲そのものは非常にスタイリッシュであることを直感し、コードを採譜してみる。
 YouTubeの音質は悪いので聞き取りにくく、類似コードが間違っているかもしれない。
 イントロはAm7-G(7)-FM7だが、既にして都会的だ。この時点でのキーはAmだが、Fではなくメイジャーセブンを採用しているところで、キーがCM7であることを微かに匂わせている。
 AメロはAm7-G-FM7、Dm7-G-CM7、Dm7-Em-Dm7-E7だ。最後のE7が効いているし、二回目はsus4を織り交ぜるという芸の細かさだ。
 サビがとても良い。二拍ずつグイグイ進んでいく。
 Am7-G-FM7-E7、Dm7-G7-CM7-Am7-Dm7-Em7-Am7-A7、Dm7-E7、そしてイントロへ。
 この曲クライマックスは「放課後の校庭を走る君がいた」だ。この部分だけが、キーはCM7であり、他はすべてキーはAmだ。
 つまり代理コードで、よく使われる手法だが、この曲ではメイジャーセブンや、E7とA7がサブリミナル的に使われることによって、独特の雰囲気を醸し出している。
 いまの邦楽ではAmに見せかけておいて、CM7で「うっそぴょーん!」炸裂するところだが、村下さんはAmに固執する。それは時代性であり、彼の曲は80年代をよく表していると思う。彼には『踊り子』というヒット曲もあり、これもやっぱり80年代を象徴している“曲調”だと思う。なんというか、夕暮れのテニスコートを想起させる。
 村下さんは若くして亡くなってしまったらしいが、彼のソングライティングは時代を先取っていたと言える。
 双璧は八神純子だろう。彼女は紛れもない天才であり、凝縮されたグッドメロディと強引な転調は、ほとんどXTC的だった。
 この時代に活躍したシンガーソングライターでは尾崎亜美織田哲郎がいるが、先の二人と比較すれば、三流にすぎない。これは断言しておく。なぜなら、彼らには新しさがないからだ。売り上げは関係ない。
 ソングライティングには“時代性”がある。
 音楽、とくにポップスは過去の模倣によって進化していくが、少しずつ進化していく。進化とはつまり逸脱であり、だからこそ普遍性(POPS)を獲得するためには、少しずつでなければならない。いきなり突飛なことをやっても誰もついてこれないし、それは進化(HIPS)ではない。
 たとえば、五度上のコードにマイナーを持ってくる違和感を世に知らしめたのは奥田民生であり、他のJ-POPも彼に追従したが、オリジナルの逸脱にかなうはずもない。逸脱を模倣したところで、それは模倣でしかない。
 偉大なソングライターは必ず逸脱しているし、それを安易に示さないという性癖を見ると、彼らはもれなく性格が歪んでいると思う。
 曲がり胡瓜は売れ残ってしまうけど、作られた曲がりは人の気を惹くらしい。