ヒーローなんかいらねえ

 
 今さら知ったんだけど、スライ・ストーンが来日するらしいじゃないか! これは驚いた。今月末、東京、しかも二日目はブルーノート……うぉぉぉっ! 観てぇぇぇっ!
 ソロではなく「ファミリー・ストーン」で来るらしい。札幌にも来いっ!
 何年か前に、妹のローズ・ストーンは来たんだよね。ライブっつーか、ゴスペル隊の一員としてだったかな。
 個人的にファミリーで一番好きなのは、トランペットのシンシア・ロビンソンだね。大昔にブートで買ったライブビデオ(今でも持ってる)に若かりし日のシンシアが映っていて、これがめちゃくちゃかっこよかったんですわ。
 もし犬か猫を飼うとしたら(絶対に雌)、シンシアと名付けようと考えているくらい好きだなぁ。ベティ・デイビス(マイルスの元妻)もかっこいいけど、シンシアはクールなんだよね。
 スライは、ぼくの中で五本の指に入るアーティストで、CDはほとんど持ってるし、19歳の一年間はスライとヴェルヴェッツしか聴いてなかった。夢中だったな。だから、ニルヴァーナとか知らないんだよね。
 好きなアルバムは『FRESH』だな。
 元々は白人がドラマーだったんだけど、当時盛んだったブラックパンサーの圧力を受けて解雇せざるを得なくなり、このアルバムは全編リズムボックスを使ってるんだけど、それがイイんだよなぁ。もの凄くクールなんだよ。
 ドラマーの不在を逆手に取った、スライの創作魂が炸裂した一枚です。これはめちゃくちゃ重要な一枚だと思う。
 9/2のブルーノート、料金15,750円也――あのね、安いもんですよ。ワープしたい。スライが入ったトイレ(大)に、ワープしたい(おまえ変態だろ)。
 こういうとき、たとえ猛暑でもトーキョー人が心底羨ましい。
 
 
 今日、極太の国道を北に向かって走っていると、献花台が目に入った。
 市内で起きた強盗殺人事件の現場だった。
 強盗殺人と書くと「押し入って刺殺〜」と思われるだろうけど、実際はアクシデントに近い。
 釣具店で万引きした犯人が車に乗り込んだところ、店員が追いかけて来たので発車させると、店員がボンネットに飛び乗って来た。慌てた犯人がアクセルを踏んでハンドルを切ると、振り落とされた店員と共に妙な音がしたので、怖くなって青森まで逃げて、数日後に自首という流れ。
 これ、凄いのが警察で、事件の数時間後には犯人を特定してるんだよね。そして携帯番号を割り出して、電話口で自首を勧めている。
 犯人に殺意がなかったことは明らかなんだけど、罪状は「強盗殺人」で、無期懲役か死刑のどっちかしかない。
 当然といえば当然で、概要は「窃盗後に逃走を阻まれたので轢き殺した」となるので、どこからどう見ても極悪殺人です。
 窃盗は故意だけど殺人は故意じゃない――こういったケースはとても多くて、極刑が犯罪抑止に貢献しないと言われる所以も、ここにある。
 そして、だからこそ、命を守る鍵も隠されている。
 たとえば、帰宅して空き巣と鉢合わせたとしよう。
 その場合、「なにやってんだ!」と叫んで捕まえようと反射的に行動しがちだが、窮鼠猫を噛むよろしく、犯人は逃げたいがために家主に危害を加えるだろう。
 そこで拮抗できる体力や武器があればいいけど、普通の人はそんな準備はしていない。反面、泥棒は常に発見されることを想定していると考えた場合、明らかに不利である。彼らは最初っから準備ができているのだ。
 対峙した犯人は文字通り必死だが、家主が必死になる必要はない。そのまま逃がすか、なんなら命乞いをするべきだ。できれば背中に「二度と来るな!」と浴びせておきたい。
 そうなんです。泥棒って、野良猫なんですよ。泥棒猫とはよく言ったもんだ。そして、追いつめた猫は、思いのほか怖いんです。牙が、剥き出すんだ。
 その行動が情けないと考えるならば、四六時中神経を張り詰めていなければならないし、体も鍛えておかなければならない。
 それは、ほとんど徒労と呼んでもいいし、“まだ何も起こっていないことに対するネガティブな準備”ほど、人を疲れさせるものはない。
 だから、逃がした方がいい。
 しかし、もし犯人が隙を見せたら、鈍器で後頭部を力いっぱい殴打すればいい――とは、思えない。なぜなら、窃盗ごときで犯人が死んでしまう可能性があるからだ。犯人は殺しにきたのではないから。
 やっぱり、逃がすべきだ。
 こうして書くと弱者丸出しで、確かにぼくは生粋のヘタレなんだけど、でも土俵がないのに勝負したって無意味だと思うわけです。ハナっからフェアじゃないんだから。
 これが「お前を殺しに来た」と言われれば、それこそ必死で戦うしかないけど、そんなシチュエーションって、ないでしょ。あったとしても、狙われてたら、もうお終いです。チーン
 亡くなった被害者の正義感を否定するわけじゃないけど、これは会社の教育がまずかったと思う。あるいは、もし「万引きは逃がせ。保険があるから」と教育されての行動だったのなら、一人ではなく従業員総出で行くべきだった。そして、職場はそういった一枚岩の雰囲気だったのか、という疑問も残る。被害者がひとりで飛び出さなければならなかった理由が、必ずあるはずだ。
 正義の死ほど痛ましいものはない。けれど、正義は温存しなければならないときもある。逃げるのではなく、大義を隠し持っているという感覚が必要だったのかもしれないし、それを誰かと共有できれば良かった。
 そしてなにより、主犯と、助手席にいた犯人も、なにも持っていなかったことがなおさら哀しい。
 ひとつのやわらかい魂が、それに成りうるはずだったふたつのガラス玉に壊されてしまったことが、本当に悲しい。
 これは悲劇である。
 ぼくはこの事件を知って、助手席に居る自分を想った。