埋めちゃうぞ

 
 コーラスウォーターが好きなですこです。あの薄さが好い。なので最近はカルピスもウォーターじゃなくて濃縮タイプを愛用して薄く作っております。ちなみに僕のカルピ(以下、いや、烏賊略)
 過去の日記を一気に埋めたるぞ、と息巻いていたんですが、そういえば友達が来訪する事を忘れておりまして急いで部屋の掃除を始めたのでした。普通、来客がないと部屋の掃除なんかしませんよね? 来客が一切なかったのなら僕はたぶん部屋の掃除はあまりしないと思いますし、特に必然性も感じません。来客があるからこそ羞恥心が生まれる訳ですから、こりゃイカンと掃除をするんです。
 大体、部屋の埃のほとんどは野外からのモノではなくて、元来は布団やら衣服やらの綿なり繊維なりだった訳ですから、埃=汚いとは僕は思わないんですね。髪の毛や陰毛も落ちているほとんどは自分の持ち物な訳ですから、そんなに嫌うこともないと思います。むしろ拾って糸楊枝代わりに使って成仏させてやるべきです。ですから僕が掃除をする理由は『部屋を綺麗にしたい』のではなく『他人に汚い部屋を見られたくない』、つまり“部屋が汚い人間はだらしがない”とか“汚い部屋で人を迎えるのは失礼だ”という《共同幻想》に怯えているに過ぎません。なぜ共同の幻想なのかと云えば、先に話した通り「自分の陰毛には耐えられる」からで、「他人の陰毛は耐え難い」という各々の自己愛によって半ば強迫観念的に幻想が生じる訳であります。
 なにより掃除とはゴミの移動に過ぎません。つまり部屋が汚い人ほど、ゴミを外に出さずに自らが請け負っている者こそが、地球に優しい人間と言えます。ですから貴方の知人の家が汚くとも「コイツはだらしがない」とは思わずに「コイツはなんて地球に優しいんだろう」と思ってあげて下さい。同時に「なんて大家さんに冷たいヤツなんだ」とも。
 こうして、掃除をしない自分をなんとか無理矢理肯定する為には相応の文字数が必要ですから、それならばいっそ掃除した方が早いですよみなさんわかりましたか。