寝耳にポップ

 
 粉チーズをきらした時には耳糞を振りかけ、香りが足りない場合はヘソゴマ振りかけ、ことアクセントですこです。
 昨日は友人宅へ出向いてwavをmp3に圧縮しFTPでwebスペースにupする、という一連の作業を伝授しに行ったんですが、思いの外PCが低スペックだったのでそれもままならなかったのでありました。彼とは音楽ユニットを組んでおりまして、デモを聴かせる際にわざわざMD等に落として手渡しするよりも、現代ならば先に挙げた手順で容易かつスピーディーに目的を成し得ましょう、という事だったんですがいかんせんPCが古すぎた。今日日メモリー64MBて。
 ちなみに彼はギターはもちろんベース、キーボード、ドラム、およそバンドで必要な楽器のほとんどを演奏できるスーパーマルチプレイヤーであります。そんな器用な彼がなぜパソコンを使いこなせないのかは甚だ疑問でありますし、パソコンが苦手な人は専門用語に戸惑う傾向がありますが、大抵は略語ですので覚えてしまえば至極簡単なのです。マツモトキヨシをマツキヨと呼ぶ事と全く同じだ、と言ってもよいでしょう。CDをMDに落とすのと、wavをmp3に変換するのは不可逆圧縮で酷似していますし、例えば画像における解像度なども同じ原理と云えましょう。仕組みや概念さえ解ればあとはどうって事ないんですね。
 ではなぜ音楽を圧縮するのか? と云えば便利だからでしょう。限られた容量に沢山詰め込めますし、音質もさほど劣化しない。そうなればCDウォークマンよりもmp3でipodに詰め込んだ方が合理的という訳です。ですからユーザーは音質には執着していない訳ですから、反面SACDの普及が伸び悩んでいるのでしょう。わたしもSACDは所有しておりますが、必要性はほとんど感じません。古い音源をSACD化しても余り意味はないように思います。SACDが持つ周波数特性を活かす為にはまず録音から始めなければなりませんし、そうなるとマイクやアウトボードの性能も同調しなければなりませんし、なにより再生装置もその周波数を再現出来なければ意味はなくなりますし、そして『人間の耳はその周波数を果たして聴き取れるのだろうか?』という、気が遠くなるところまで行き着いてしまうので、近年のmp3プレイヤーによる合理性の普及は正しい、と言わざるを得ません。
 そうなるとますます音楽の垂れ流しに拍車が掛かる訳ですが、わたしにはそれを批判する権利はありませんし、悲観もしていません。なぜなら、その状況でも引っ掛かるのが良い音楽ですし、わたしはそれを目指していますのでむしろ好都合と云っても良いでしょう。
 世界中がオムニバス時代の到来でありますから、世界と勝負できる土俵が出来上がったんですね。