おれがヘンなのか

 
 自転車のサドルに雨除けのホクノーの袋を被せたまま、晴天の熊の沢公園をサイクリングしたいですこです。
 最近知ったんですけどはてなのカテゴリーって、自分の日記内のカテゴリーなんですね? 自分の日記を自分でカテゴリー整理する、ってだけみたいです。ですから色んな事を長々と書くよりも、短く書いてそれを小分けする為の機能なんでしょう。
 考えてみると、それって日記じゃないですよね。書いた後にカテゴリーを分けるって事は、再読を意味する訳ですから、書き捨てよりも重々しい印象を持ちますし、カテ別に分けるのならばそれなりに推敲せねばならないので、ある意味エッセイ集的な機能といっても良いかと思います。
 だがね、そうそう毎日エッセイみたいなモンが書けますかいや。プロでも無理やっちゅーねん。毎日毎日、浅田次郎の「勇気凛々ルリの色」を書けたら大天才ですよ。なにより“日記”自体が一つのカテゴリーであって、更に細分化が進むって事は、こないだまではTOPがあって日記に飛んだのに、最近はブログがTOPなんですね。つまりコンテンツの細分化を意味する訳ですが、これは一つのブームでしょうからいつか廃頽するでしょう。やはり一丁前の人間ならばTOPを持った上で其処からブログに飛ばすべきでしょう。
 ネットを百貨店と考えてみればブログがTOPと云うのは、商品であるブリーフを床に置いて叩き売っているようなモンです。「ブックマークはindex.htmlにお願いします」なんて台詞すら懐かしい。
 しかしながら、叩き売りこそがネットの醍醐味であるからして、これだけブログが普及したのでしょう。自らを安売りできるのがブログの最大の長所でありますが、安売りの魅力とは『本来高い物を敢えて安く売ること(つーかタダ)』で初めて成り立たちますので、やはりブログといえど“安売り”を実現する為には、己が精進せねばなりますまい。そういったある種のコダワリは必ず読者に届く、とわたしは信じて疑いません。
 まぁでもおれっちもいずれはサクッとカテゴリー分けはするつもりだけどよ(どないやねん。しかもタメ口かよ)。
 
 さて本題だ。
 今日も長いぞコノヤロゥ。携帯の人は便秘のトイレで読んでください。
 最近話題になっちょります、静岡の母親毒殺未遂事件。犯人の少女の顔写真が流出してるとかで問題になっとりますが、便乗してわたくしも拝見させて頂きました。どんな顔かと申しますと、なんと言いますか、まさに気のと申しますか、まぁフツーでした。強いて申しますと、松岡きっこを二百回ブン殴(以下自粛)、ほんで土居まさるっぽ(以下猿ぐつわ)、数時間後には顔面が象印(以下舌噛む)。
 彼女はグレアム・ヤングに傾倒していたらしいが、日本のみならず世界的に見ても女性が薬物殺人を実行した(まだ未遂だが)例は少ない。近年だとカレーヒ素が有名だが「死に様を観察したい」という、歪んだ科学者根性は皆無であり、同じ劇物を持ちいたケースでも、林ますみと少女の動機は全く違う事が判るだろう。
 この事件を聞いて男性諸君は思い当たる節はないだろうか? 幼い頃の僕たちは昆虫に注射を打っては標本にしていたはずだ。僕の場合は、赤いA液と青いB液が“標本セット”に内包されていたと記憶している。AとBを混ぜてから射つのではなく、Aを射ってからBを射つ、という順序にまず萌えた。そうして仕組みは解らないが、徐々に硬直してゆく昆虫の姿を見ながら、更に萌えたはずである(だから女性の例は珍しいんです)。
 そういった時期を経て、そういった事には執着しなくなるのが所謂フツーなのかも知れないし、尚も興味を維持しながら迫り来る俗世間の欲望を跳ね除けつつ、科学的な仕組みを探求できる人が科学者になるのでしょう。
 つまり彼女は、ダイナマイトを殺人に使ってしまった。彼女は彼女の好奇心の赴くままに、アルフレッド・ノーベルの期待とは真逆の方へ行ってしまったのだ。
 僕はこういったケースにこそ少年法適用はもとより、綿密なカウンセリングが必要だと思います。優れたハッカーを雇用するアンチウイルスソフト製作会社の構図です。日本もそうなればいい。現在の日本で必要なのは、能力を伸ばす事ではなく、受け入れる事なんです──場所といってもいいかも知れない。彼女はそういった実情を象徴していると思いますし、僕は彼女を異常だとは思いませんが。