余り者たちの浸透率

 
 栃木と茨城の違いがよく判らないですこです。
 十年程前、栃木か茨城へ行って(わからん)地元の老人と会話をした事がありますが、内容の9割は理解不能だった記憶があります。もの凄く流暢にしゃべっておられました。
 
 書いてるそばから茨城で女児殺害の報、身体的特徴から不明だった栃木の女児の可能性が高いとか。遺体は裸、刺殺。弱者を狙った模倣、犯人は真性の鬼畜であります。
 くだんのカルロスも前科があったらしい。性犯罪者の衝動は自力で抑制できない事は、過去の事件を照らし合わせても明らかです。
 或る犯罪者は出所直前に自ら
「おれは自分を止める自信が無い。だからこのまま収監して置いてくれ」
 と懇願したが当然叶わず、数日後にやはり強姦殺人を犯して死刑判決を受けました。刑務所内で矯正が行われていない事は明白です。
 ほとんどの性犯罪者は、自らの内部で突き上がる、抑えがたい衝動の支配力の強さを自身で理解しています。前科がある者なら尚更で、現に被害者を目の当たりにしている訳ですから、カルロスのように、次回は前回よりも激しい衝動に襲われるはずです。反省しながらも、次の犯行の空想を止められないのだと思います。
 彼らは取り立てて道徳観が欠如している訳ではなく、ソレよりも暗い衝動の方がうんと強いに過ぎません。わかっちゃいるけどやめられない、つまり人格障害ですね。“障害”は精神病と違って治すのは難しい。そのまま受け入れるしかない。
 酒で満たされるアル中とは似て非なりであります。酒は、辞められるサ…たぶん、きっと、ネ?(すんごい弱気で)
 だから僕は思うね、性犯罪者の再犯はもう、去勢するしかないって。いやマジに。
 こういう事を言うと「人権侵害だ!」と反論する人も居るでしょうが、被害者の人権は踏みにじられている訳で、人権どころか命も奪われている訳ですし、なにより“侵害した人間”の「有り余る勢」を「去する事」が、そんなに『侵害』かよバッキャロゥ! ふざけんのもいい加減にしろ。元から正す風潮も無いのなら、切っちまうしか無ェだろうが。
 『元』なんだよ、本当に憎むべきモノは、彼らを作った環境や社会なんです。
 最も有名なマーダーであるチャールズ・マンソンは、幼き日に母に酷い言葉でなじられ、殴られ続け、愛人との性交を凝視するように強要されたりetc.、まこと悲惨な日々を過ごしてきました。
 わたしが最も同情し畏怖するカール・パンズラムは、極貧の日々を過ごし、屈強な男達にレイプされ続け、ついには大犯罪を冒してしまった。彼の凄い処は、原因を全て自身で把握していた事にあります。オリバー・ストーン監督の「Killer 第一級殺人」と云う映画は彼がモデルであります。是非御覧下さい。
 
 寺山修司は、永山則夫との遣り取りで「結果が在って、初めて原因がある」と、永山を糾弾したが、ぼくはソレはちょっと違うと思っている。
 永山は処刑を待つ拘置所の中で「無知の涙」と云う名著を残した。文盲だった永山は、結果から原因を突き詰め、哲学へ昇華させた。
 殺人を犯さければ優れた書物を書けない、なんて、まったくオカシナハナシである。
 ウルトラ極貧だった永山は、枯れた乳を睨みながらお湯で育った。それも極寒の網走でだ。漁師が捨てた魚を、拾ってはむさぼり喰う少年時代だった。
 19歳になった永山は、無差別に4人を殺して死刑囚となり(そう、無差別なんだよ)、酒鬼薔薇事件の直後に“見せしめ”として処刑された。享年48歳だった。
 ドストエフスキーは「世界を知っているのは死刑囚だけだ」と言った。まったくその通りだ。
 
 弱者を殺す事はなにも特別な事じゃない。弱者を殺しまくるアメリカに追従して我々は繁栄し、首の皮一枚繋がっている。
 
 今回の事件も『世界を模倣した結果』に過ぎない。