角砂糖で一人、クリープだと四人殺せる、甘党ゴルゴですこです。
 いま、五日ぶりに酒を呑みながら銭金を見とりますと、なんとフェラえもんが出ています。しかも「ぼくフェラえもん」などと言っとりますよ。やられたね、パクられたね、おいらのオリジナル即興掌編官能小説がよ。
 しかしアレですよ、テレビの宿命か、銭金は深夜枠だった頃がやっぱり面白かったですよねー。
 
 やはり5日振りのウヰスキーは効くなぁ、しかもトリスは不味いなぁ。酒って、日を空けてみれば、意外にずっと呑まなくても平気なモンなんですね。
 ある賢者は「人生を築く上で最も有効な手段は習慣である」といいましたが、習慣と惰性の明確な違いがわたしには解らない。呑まない事を習慣づけても、アル中でない限りあまり意味はないように思えます。
 酒という楽しみの他に、何か別の、とりたてて快感も伴わない作業を毎日決まった時間に遂行セヨ! なんて冗談じゃないです。それに、惰性の方が習慣よりも正確です。なにものにもとらわれず、なんのしがらみもなく、宇宙の法に則り、極めて自然に、吸い込まれるチップ・イン・バーディーのように酒を注ぐ事に、いったいどんな罪がありましょうか。
 わたしが最も尊敬するのは「心臓」です。産まれる以前から、80年間もひたすら動きつづけているのですよ。意志で止める事は不可能で、たとえ脳内で壮大なπ計算をしていても、心臓が止まると死んでしまうんです。『ポンプ、侮りがたし』であります。
 ですから、心臓を取り出してチュッチュチュッチュと口づけで労をねぎらってあげたいのですが、そうもいかず、その実現不可能な空想をするが為に、わたしは毎晩女性の左乳首をチュッチュチュッチュする夢をみるのだろうか。
 
 たばこ税が上がる模様です。おそらく一箱20円くらい。
 愛煙家が禁煙で苦しんでいる時、嫌煙家は
「なにかを“やれ”と言っているんじゃない。吸わなきゃいいんだ、“やらなきゃ”いいんだよ!」
 などと、バカ丸出しの台詞で鼻の穴を膨らませては“してやったり顔”をしていますが、愚の骨頂であります。
 湧き上がる欲望を自らで抑制する事が如何に大仕事か、またそれが人生のテーマであることが、全く解っていない者の発言だ。
 タバコが嫌いだからといって自分が理解不能な他人嗜好を全否定する輩は、まず短所から相手を観察し、なにかといえば徒党を組み、ヒソヒソと陰口を叩き、魚肉ソーセージを歯で剥けなく、車は小豆色の1BOXのAT(エアバックに紫煙を入れたいゼ!)etc.、つまりね、美学がないんだよ。
 あたしゃね、昨今の嫌煙ブームに腹が立っとるんです。
 確かにわたしは、酒煙草自慰の三重苦ですが、メシ屋では煙草は吸いませんし、オナニーもしません。マナーは守ってるのに、ちょっと煙草臭いだけで怪訝されるのは、やっぱり納得いかない。
 だいたいね、酒と煙草には多大な税金が含まれている訳ですから、酒好きと愛煙家が一斉に嗜好を辞めたら税収は激減しますよ。
「楽しみに課税する」のが国家の大義名分ですから、そうなると今度はコンドームがバカ高くなり、大人のおもちゃは高嶺の華になるでしょう。その前にチョコレートかもな。いや、「性」に課税するかもね!
 じゃあなにかい、労働以外はなにもしないで、ただただ心臓を動かせとでも?
 タバコ税ってのは、それら政府の狙い撃ちを象徴してるに過ぎません。かといって別に「愛煙家はお前ら嫌煙家の税金の肩を持ってるんだゼ?」などどのたまうつもりは、毛頭ない。
 だからさ、日本国家を愛煙と嫌煙で二分してみりゃいいんだよ。南北でも東西でもどっちでもいい。おれは自信があるね、愛煙国家の方が文化が進むだろう。税収も多いし、そう! なにより文化ってのは、無駄の進化だからな!
 
 さて、ちょっと熱くなってしまいましたが、ご安心下さい。わたしは嫌煙家の人とは絶対に友達になれませんから。
「生理的に受け付けない」という言葉があるのなら、「けむり的に受け付けない」という拒絶もアリです。上等です、吸いまくってやります。
 
 このブログも煙草の匂いがすればいいのにな、と、マジで心底思っています。
 
 わたしは、ジム・ジャームッシュが大好きなんです。