木と鉄の共鳴は脳と細胞を悦ばせる

 
 運転席側にしかスピーカーを付けないというトヨタのコスト削減のやり方が気に入らない、ですこです。運転手はそんなに偉いんかい。じゃあなにかい、助手席の死亡率が運転席よりも高くとも、その危険度を差し引いても、そんなに運転手にラジオ聞かせたいか! きみは! 耳を澄ましたままおれの命を捨テレオか! と、うまいことをギリギリで思いつく。
 先日、ヒロ吉さんとgoodrigeさんが我が家と私の心に土足でズカズカと入り込んできまして、手土産はスーパードライと豆おかきとエビせんという、「一軒家の建て主が、施工中の現場に三時に持っていく」ような、極めて老け倒したお菓子群でありました。(残した分は翌日わたしがやっつけました☆)
 用件はと云えば、“同窓会的な理由でバンドを結成し、呼び集めた今は主婦となった同級生の女と隙あらばイッパツやる”という、スーパーフリー的なイベントがあり、その際にギターは何を買ったらよいか、という内容だった。
 ヒロ吉さんはYAMAHAのFG-151という、所謂「オレンジラベル」のアコギを持参してきたので驚いた。なんとわたしと全く同じギターだったのだ。
 訊けばそのギターはgoodrigeの所有物であり、goodrigeはそのギターを「タクシー代の肩代わりに貰った」という。紛れもない白タク行為である。
 わたしのFG-151も実は拾い物であります。正確には、見知らぬ倉庫から盗んで来たのだが…。
 FG-151というギターの、なんと悲しい性でしょうか。
 ヒロ吉さんは、わたしの『GUILD M-65 3/4』が気に入ったらしく「弾き易い」と終始弾き続けていましたが(コレが意外と巧い!)、それはわたしが弾き続けているからであって、といってもオカルト的な意味ではありません。弾き続けていると悪い部分が気になり、それを治すので、結果的に弾き易くなるのです。
 例えばヴィンテージギターで謳われる「プレイヤーズコンディション」とはそういう意味合いでありまして、骨董品的にミント状態を保っているギターは実は弾きにくいのです。40年前のギターを手にして「コンデンサーはオリジナルですか?」などは愚問であり、40年も経てば必ず劣化してくるので、交換すべき部品は交換してある方が、より弾き易くなりましょう。
 ヒロ吉さんもgoodrigeさんも「予算は2万円」などと言っておられましたが、わたしは無理してでも一目惚れを買う事をお勧めします。
 この考え方はわたしが間違っているのか。わたしは、すぐにローンを組みます。んもう速攻。但し重複は絶対に組みません。
 ベタ惚れしたモノは、必ず大切に扱うことでしょうし、決して後悔しないのです。
 タイ人ニューハーフのパブ通いを控えて(地下の便所でフェラチオサービス付きらしい)、ここはひとつ一点豪華主義でいくべきです。
 カネがない? おれだってないです。あれば悩まない。でもサインするまでの苦悩の期間が一番楽しいんだよなーっ!
 
 構造が原始的なぶんだけ、ギターには魔性が宿っているのです。