これが噂の「マインド・ゲーム」ってヤツか?

 
 昨夜、夢にハウス加賀谷が出てきたですこです。
 今夜は欽ドンおっくんが出てきそうな気がします。両人とも元気である事を切に願います。
 
 わたしは白昼夢は四六時中見ていますが、寝ている時の夢はほとんど憶えていません。
 ジプシーやインドの修行僧は、夢を自在にコントロールできるそうです。それはコツであり、訓練の賜物だそうです。
 若かりし日、何度か夢精をした事があります。寝小便に非常によく似た感覚で、「出しちゃいけないのに出ちゃった」といった不可抗力による生理現象は、頭の中が水浸しになるくらいの快感でありました。
 その夢とは
「真っ赤なフェアレディZのボンネット上で、ミポリンにクンニをする」
 という型破りなシチュエーションでした。
 当時「毎度おさわがせします」という、ちょっとエッチな青春ドラマが流行っており、ミポリンがわたしを
「オス! おれの家でレコードでも聴かないか?」
 などと誘うので、たまらず駐車場に停まっていたフェアレディZの上に持ち上げていきなりクンニをしたのでありました。
 
 さて(なにが『さて』だよ)、夢占いというものがありますが、わたしは懐疑的に思っています。
例えば「ネクタイ」は男根を意味しているそうです。男性しか身につけないモノで、垂れ下がっている、というのがその理由のようです。
 じゃあなにかい、おう! 短いネクタイは短小を表していて、蝶ネクタイはかんとん包茎を表していて、ワンタッチタイプはオナベを表しているのかよ! なぁオイ、なあ!
 夢占いは、後付けでしかない、と思えて仕方がない。
 ヒトは占いに、安堵と指摘を求める。それらはすべて周知の事であり、他人に改めて指摘される事によって「だよねー」と安堵する。
 白昼夢のほとんどは「希望的観測」であります。
 夢も希望的観測も、なんの役にも立ちません。行動あるのみって事ぁ、じつはみんな知っているのです。
 しかしながら、夢も希望的観測も、実に甘美な味わいがあります。だって現実はいつだって塩っ辛く、苦いのですから。
 
 つらい現実に立ち向かったところで、あまやかな未来が保証されているわけではありません。
 この気持ちに時代なんか関係ありません。古代からみんな思っていたはずです。
 ただ生まれて、ただ死んでゆく――そこに意味はありません。
 人生に意味はないのかもしれません。
 
 あらゆる意味から逃れた時に、あたたかい気持ちが私を包みます。
 それは、悲観でも逃避でも諦念でも宗教でもロックンロールでもない。
 そのあたたかさが冷え始めると、ミカンの汁で書いたように隠し文字が浮かび上がってくる――
 
 人生はゲームだ
 
 と。
 わたしはいつもこんな白昼夢を見ている。
 
 良い医者を知っている方がおりましたら、是非とも紹介してくださいませんか。