負け犬のオーボエ

 
「ハナクソと挽き肉」というフレーズを、仕事中に思いつき「こりゃ凄い! おれは天才だ!」と真剣に思っているですこです。マジでHPのタイトルを「ハナクソと挽き肉」に変えようかな…。いや、「挽き肉とハナクソ」の方が…いや、いっそ「鼻から挽き肉」の方が…いやまてよ(もういいから)
 
 年末にPCを新調したはいいが(中古ですがね)、肝心のDAWソフトがなんか変だったので2000とのデュアルブートにしてみようと思い立ち、Dドライブをフォーマットしようにも何度やってもうまくうかず、しかもさんざん待たせたあげく、フォーマット完了99%間際に「できませんでしタ☆テヘ☆」などとそっけない青画面で言いやがるものだから、ムキーッ! っとなりまして、じゃあいっそパーテーションもCドライブごとフォーマットしまして、そうなると最低限のデータはバックアップをしなければなりません。
 アドレス帳、メール本文(わたしは数年分を保管しています)、アカウント、お気に入り、クッキー等々。
 IEの場合、エクスポートで一発保管ができますが、OEの場合はメールのエクスポートは出来ず、階層を辿ってフォルダごと保存してやらなければならない。そのクセにインポートは出来やがる。なんだこの手間暇はよう! ゲイツ
 そうして2000を入れてDAWソフトを起動してもやはりオカシイ。以前はちゃんと動いていたという事実を目の当たりにしたお陰で、我に返った――思い出したぞ! ここのここのところをプルダウンしてドライバを変えてやれば……嘘のように直った。結局OSは関係なかったのだ! いやん!
 上書きインストールは、洗濯カゴに入れたパンツを再度履くようでイヤなので、再々度フォーマットをしてXPに戻す。すんごい無駄な時間。
 やっぱ細かい設定は紙にメモっておかないとダメなのかも知れない。紙最強、脳味噌最弱。
 これでやっとラヂヲの編集ができる(やる気はあまりないが)。
 
 DAWをやるために自作PCに手を染めたんだが、改めてDAWって凄い。
 ずーっと4トラックのカセットMTRでピンポンを繰り返しながらやってきて、8トラのMTRを借りたときなどは「このまま自分の物にしてしまおう」と決心するくらい衝撃的だったのだが、DAWの機能たるやそんなモノなど尻のデキモノにも及ばない。
 だがしかし、面倒くさい時代の方がわたしは情熱的だった。
 ギターとMTRを抱えて地下鉄に乗り、スタジオに入ってフタマタをタコアシにしてバンドの音を録っていたあの日。
 スタジオ帰り、すぐに聞きたいのでそのままメンバーを家へ呼んで夜通しディスカッションしていたあの日。
 大事な音源を誤って消してしまい、お詫びに焼き鳥を奢らされたあの日。
「せーの!」で録った音をあとで聴く無上の悦び。録り直しの億劫さ、それゆえの緊張感、それゆえの練習量。
 不自由なぶんだけ情熱でカバーしていたような気がする。でもそれも懐古主義なのかもしれないな、もう32歳だしさ。
 パソコン、DAWDTM、ソフトシンセ、iPod、mp3、etc. それらは確かに素晴らしく便利だ。だが、結局は便利なだけなのかも知れない。mp3とカップヌードルは似ている。最近のappleと日清は似ている。Windowsはもちろんボンカレーだ。
 それらを手にしているわたしは、むしろ不幸なのかもしれない…なんつって。
 
 最後にライヴを演ったのは去年の秋か…。むかしは毎月2回も演ってたのにな。まったく、しょーもないぜ!
 ライヴをやりたい。それは本能的にそう思うんだ。
 
 これは全くの独断だが、人材派遣会社の搾取を筆頭に、これから二極化が鮮明になってくると、よい音楽が出現する好機でもあります。
 ブルースも、サンバも、ジプシー・ジャズも(つーかジャズも)、いまも実存している音楽は被差別地帯から発信されたし、カントリーは移民の音楽であります。
 札幌という地方都市ですら、年増の連中によるライブが盛んに行われている(唄声喫茶なみに)。一昔前なら考えられなかったことで、以前ならギターを持っていようものなら「まだやってんの?」などと失笑されたものであります。
 こういった現象は間違いなく社会を反映しており、そういう意味ではアメリカに似てきています。音楽のことだけでいえば、わたしは移民を受け入れると将来おもしろい音楽が生まれるだろう、と確信しています。
 移民が来襲すれば日本人の仕事は減りますが、音楽は豊かになり、混血も増えます。
 我々が外人を見て「一発ヤッてみたい(or やられてみたい)」という気持ちが沸々と芽生えるのは、単に好奇心だけではなく、混血の先に平和や進化の種があるという事を本能的に知っているからに他なりません。ゆえに混血には妙な美が宿っている。
 混ざるのを嫌うのは上流であり、下層はむしろ混ざりたいと願っている。文明や音楽はそうして生まれてきたし、言ってしまえば弱者による歴史の産物と言えましょう。
 
 わたしは「海から陸に上がってきた生物」を“冒険者”だとは決して思いません。むしろ行き場がなかっただけなのではないか、と思っています。たぶんね、イルカは毎日パラダイスですよ。
 そうなりますと、我々人類は生まれつきの生粋の負け組でありまして、その中で勝ち組がいるという概念からもうオカシイ……そんなことはどうでもいいさ。
 
 つまりさ、音楽はいつだって、弱っている人に響くんだ。奏者も聴衆も関係ない。
 たぶん音楽って、古代からずっとそういうものだったんだと思うんです。