宇宙家族
そよいじゃいけない時に限ってハナクソがそよぐ、弁ですこです。
残業続きですが、覚悟を決めているのでさほど苦ではない。早くゴールデン・ウィークに な あ れ !
不思議なもので切羽詰まるのか、忙しい時ほど普段はしない部屋の整頓などを始める。どんなに綺麗に詰め込んでも本は収まらない事に気づく。押し入れのスペースはがっつり空いているのだが、急に思い立った時にあの本が読めない、と想像するとやはり平積みにしてしまう。
その本が下部にあった場合、無造作に引き抜くとダルマ落としの原理で城は崩れしまうので、左手で押さえながら立ち膝でそーっと引き抜くと今度は足がつってしまい、なんかカーリングの選手みたいになるのが嬉しい。
スライド式の本棚でも買ってみようかと思うが、本棚の代金を払うくらいならいままで購入を躊躇していた本をまとめて買える、と考えてしまうわたしの回路。わたしの頭の中の練り消し(イチゴ)。
「よっしゃー! この勢いで奥の洋間も片付けるぞー!」と、ドアを開けた瞬間、閉める。
頭の中で「不意に訪れた社長室で、デスクの下で秘書にいかがわしい行為をさせている画」を作り出し、一礼して閉める。
とにかくなんとかせねばならない。引っ越しの準備を始めなければならない。
ずーっと堀込高樹「Home Ground」を聴く。
わたしは彼の事がとても好きなのかも知れない。この感じは恋にとても近いと思う。彼が創る曲の全てが良い、と思えてしまうのだ。
歌詞カードを見てみればクレジットに松永孝義と椎野恭一の名が。完璧で、とても贅沢な布陣である。
いつぞやのRSRのバックステージで椎野氏の隣でお話をした事を思い出す。
氏はわたしに「ありがとう」と言った。その時わたしは“お茶”を差し上げたのだった。
ステージ上とは違って、素の氏は異様に幼かった。そのギャップは、わたしを興奮させたのだった。
松永氏とはお会いしたことはないが、わたしが勝手に師と崇めてる人の本州ツアーに、エマーソン北村氏と共に同行しているはずだ。
先日、千葉在住の友人から「観てきたよー、サイコーだった!」とメールが来たばかりだ。
師はススキノでバーをひっそりと営んでいる。道外ではスターなのに、札幌ではバーのマスターなんである。それは世知辛くも贅沢なことだ。師と知り合えたわたしは、とてもラッキーだと思う。
独白すると、10年前の若かりし日から師の事は知っていた。だがわたしは有名税に惹かれるばかりで、師の音楽はあまり好きではなかった。焼き直しじゃねーかよ、と少し軽蔑もしていた。
だが最近は師の凄さがやっと解るようになってきた。
去年、河川敷での大々的に行った先輩の結婚式の余興では、師もスペシャルゲストとして演奏した。
用意されたギターアンプはうんこみたいなモノばかりだったので、わたしは師に、わたしが持ち込んだアンプを使用するように勧めた。
師はそっけなく「うん」と言った。「アンプなんかなんでもいいんだ」という顔だった。
師の出番前、わたしはアンプのセッティングをしてシールドを挿し、バックステージに隠れた。
夕焼けをバックに、斜め後ろから観る師の姿は、完全なる表現者だった。
わたしは「もうギターなんかやめてこのままローディーになろう」と思うほど、いつまでも観ていたい欲求に駆られたのだった。
音楽というのはとても不思議なものだ。
演奏後、師はわたしに「いいアンプだった」と言った。わたしはVOXを誇ってナゼナゼした。まるで創始者かのように――。
愛する堀込高樹氏が、彼らと接点があるというのが尚更嬉しい。
わたしはどうしようもない人間ですが、救われたような気がするのです。
ありがとう。ありがとう。