つるんとした現実

 
 土禁の車にタイヤソックス、ですこです。間違いなくノイローゼ。
 
 母の見舞いに行ってきたのです。手ぶらで。
 駐車場はあるらしいが、混みそうなので徒歩でいく。15分くらいなもんだった。
 院内に入ると患者はみなスリッパを履いているが、来客用のスリッパは見あたらない。仕方ないので土足で進入してみる。
 受付に行ったが誰も居らず、案内図を見ると口腔外科は2Fとのことなので取りあえず行ってみる。すれ違う看護婦たちも、やはりスリッパを履いている。不安になり1Fへ引き返し、本当にスリッパがないのかどうかをもう一度確認する。が、どう見てもスリッパはない。
 
 再度2Fへ向かい角を曲がると洗濯室の前に、刈り上げ短髪で小太りの、トドみたいなうなじのおばさんが壁に寄りかかって立てっていた。
 おれはそのトドのようなうなじのおばさんの肩をポンと叩いた。
「アラ? 来たの」
「髪、切りすぎじゃ?」
「いいの」
社民党みたいだな」
「みんなは短い方が良いって言うの」
「へぇ。舌見せてみ」
「あーん」
「癌だな。そりゃ癌だな」
「そうみたい」
「まず歯をなんとかした方がいい」
「歯は関係ないでしょ」
「舌が歯に慢性的に刺激を受けることで癌を誘発するのだよ」
「へぇ」
「入れ歯にするにしても銀色のヤツはダメだ。保険が利かない高級なヤツにしよう」
「そんなお金はないわ。あんた出してくれるかい? ヒヒヒ」
「兄弟で出すさ」
 
 洗濯の順番がきて衣服を放り込む。洗剤は使いきりの小さいやつだった。
「洗剤、買ってきてやろうか?」
「沢山あるから要らない。大沼さんに貰ったの」
 大沼さんというのは、母の呑み友だちの中年男性だ。家庭を持っていたが「山が好きだ」という理由で離婚し、いまは廃品回収の仕事をしながらしょっちゅう山へ行っている、という自由人だ。
 その大沼さんに粗品の洗濯洗剤を大量に貰ったという訳だ。そういえば以前、大沼さんが採ってきた山わさびはめちゃくちゃ旨かったっけ。
 
 病室へ向かう。6人部屋だった。天下の市立病院といえどエコノミーは、やはりエコノミーだった。
 とにかく病院というのは静かで、暑い。
「ところで、土足でいいのかな?」
「ぷっ! いいのよ」
「土足だとバイキンが入るのでは?」
「ぷっ! 集中治療室じゃないんだから」
「病院って意外とワイルドなんだな」
「土足よりも、あんたジーパン洗いなさい」
「はい」
 
 個室で無音なのならいいのだが、6人部屋の静寂は息苦しい。とうぜん男はおれだけである。
「もう牛タンは食べる気がしないだろ?」などとジョークを言って取り繕うと思ったが、他の患者がいる手前、そういう冗談はタブーだと思えた。暑さと居づらさで額から脂汗がにじみ出てきた。
「あんた、帽子脱ぎなさい」
「はい」
「むさ苦しい髪の毛も切りなさい」
「はい」
 おれを含めて7人いるのだが、会話をしているのはおれと母だけだ。従順になるしか術はなかったし、それが心地良くもあった。
 
「K子さんから電話がきたの」
 K子さんとは、兄の嫁である。
「お義母さん! どうして隠していたんですか! って号泣してたわ」
「……」
「末期じゃないのにね」
「癌、っつー響きだろうよ」
「四月一杯は入院する事になるみたい」
「家のガスの元栓は閉めたか?」
「電気ポットのお湯も捨ててあるわ」
「つーか、ブレーカーを落とせばいいだろ」
「バカ。冷蔵庫はどうなるのよ」
「そうか。じゃあ一ヶ月だと腐るものもあるだろうから捨てておいてやるよ」
「腐りそうなものは全部職場の人に配ったわよ」
……さすがプロである。
 
「あんた、もういいわよ」
「じゃ、帰るわ。お大事に」
「あんた…太ったね?」
「うるせー、トド」
 
 母は余裕の面持ちだった。二十数年も勤めている病院に入院する彼女に対して、おれが助言できることはなにもなかった。
 まあとにかく、おれは安心している。googleで「舌がん」をくまなくイメージ検索をして比べてみたが、初期であることは間違いない。
 あとは精密検査の結果次第だろう。転移していなければ、ただのデキモノだ。
 
 
 そんな訳で「人志松本のすべらない話5」を、Winnyで落として見ながらこの日記を書いている。やはりね、1と2が面白いなぁ。
 札幌での放送は来週らしいが、待ちきれる訳がない。重要な番組を遅延させてツマンネー深夜番組ばっかやってんじゃねーよUHB。そんなことだからHTBが全国を席巻しちまったんだ。
 悲しいかな、『試される大地』なんてキャッチフレーズはオーバートークもいいとこさ。