かがみみる

 
 蛇に睨まれているので昨日の日記は書けなかった、ですこゲロゲーロ!
 
 仕事を終えて18時過ぎに帰宅、速攻シャワる。
 来札中の兄甥最後の夜、入院中の母も外泊許可を得て、みんなで実家に泊まるのでお前も来い、とのこと。明日も仕事なので一泊は断ったが、その前の居酒屋は参加することにした。
「おい、車で来るなよ」と兄。
「……(どこに車を隠そうか考えている)」
「あんた、車で来るんじゃないよ」と母。
「……(そうだ! あそこの大衆浴場に駐めよう)」
「くるまできちゃダメだよー」と癒し系。
 
 癒し系の啓示に従い、地下鉄で行くことにする。目的地までは10駅もある。正味片道20分ほどとはいえ、すっかり疎遠になった地下鉄の退屈は耐え難い。読みかけの文庫本をジャケットのポケットに入れて持って行こうと思ったが、帰宅ラッシュで混みそうな時間帯だったので、もし座れなければ文庫も無意味になるだろう、と考え手ぶらで行く。
 やはり混んでいたが、考えてみれば次の駅で大半の人が乗り換えで降りるので、この駅から乗ったおれは終点まで確実に座れるのだった。
 文庫を持ってこなかった後悔は、すぐに消えた。斜め向かい、仕事帰りと思われる白髪のおじさんの膝上の右手には、青い蓋のコップが、ペイズリー柄と思われるハンカチと共に握りしめられていた。
 間違いなく“ワンカップ”だ。絶好の暇つぶしを見つけたおれは、自分の身軽さを褒めた。この密集した空間でも酒が我慢できない人を――こりゃ本物ダ!――コッソリ呑んでいる人を堂々と窃視できる状況に、おれは小躍りした。
 おじさんは、どこのなにを見ている風でもなく、終始首を斜めに向けて、そっと青いフタを開けてサッと素早く、少量づつ流しこんでいた。まさに“何食わぬ顔”だった。隣に座っているOLは、さぞかし酒臭かろうと思われたが、目を瞑り寝ているようだった。
 ふと周りを見渡すと、おれとおじさん以外はみんな目を閉じていた。「みんなどうしてこんな面白い状況で目を閉じているのだろう?」と思ったが、だからこそおじさんはワンカップを呑めるのだな、と思い直し、「なるほど。みんな暗黙の了解なのだな」と納得して、おれも凝視などという無粋なことはやめることにした。
 おれが降りる一つ前で、おじさんは降りた。小脇にはA4の茶色い封筒が抱えられていて、下の方には「JA」と書かれていた。JAが農協だということは知っていたが、その二文字がなにを略しているのかいままで知らなかった。だが、今日はじめて解ったよ。
「Japanese Alcoholic」なのだな。
 
 居酒屋に到着すると、癒し系が走って抱きついてきた。可愛い、この子は本当に可愛い。年齢×千円と計算し、小遣いとして五千円用意しておいた。訊けば5歳の子供に5千円はやり過ぎだというし、5歳ならば札よりも小銭の方を喜び、千円札よりも百円玉を5枚の方が嬉しいそうだ。なぜなら“そのままガチャガチャができるから”らしい…。
 会計までの間、トイレに行くふりをして千円札2枚でセブンスターを二つ買う。釣りで出てきた小銭のうち、銀色だけをジャケットのポケットに仕舞い込み、甥を抱いて一足先に店を出る。
「ともちゃん、ポケットはあるかい?」
「あるよー」
「これあげる。お父さんには内緒だ」
 手渡したゴッソリの小銭を、彼は数えなかった。目をまん丸にして、すぐにしまった。隠した。
「いいの…?(ものすごい小声)」
「落とすなよ」
「じゃあ、ちがうポケットにしまう」彼は、腿の横にあるマジックテープが付いたポケットに、小銭を入れ直した。
「これ、とめてよー」
「はいよ」
「ねぇ? これで何回ガチャガチャできるー?」
「さあね」
 
 会計を終えた母と兄、兄の友達の店主が出てくる。店主は甥に歩み寄り、小さく畳んだ千円札を渡して頭を撫でた。みなが挨拶を交わしている間、甥は千円札を仕舞う為にマジックテープを剥がすのに必死の形相だった。
 タクシーを拾い、彼らと別れ、再度帰路への地下鉄に乗る。ガラ空きで、長いシートにデーンと座る。向かいには誰もいない。
 奇遇なことに、帰りの地下鉄にも“JA”は居た。しかもおれの真正面に陣取ってやがり、おれにそっくりの男だったのさ。