博愛日記

 
 テレビのリモコンが効かないですこです。すんごい不便。
 
 土曜夕方、ヒロ吉から「バイオリンベース持ってウチ来いや! おう! いてまうどコラ!」と、がなりたてられたので、肩を落として渋々向かう。
 昔と同じように、ヒロ吉の部屋の窓を裏拳で叩く。なにやら部屋でギターの練習をしているらしく、叩扉には気づいていないようだ。ミスチルのCDに合わせた下手くそなギターが漏れてくるばかりだった。
 部屋に入るとゲーシーが居た。ゲーシーは意外とギターが弾ける。自転車と同じで、若い頃に覚えた感覚というのは歳をとっても忘れないものなのだな。
 海老フライと出汁醤油(素直にソース出せや)、じらしたように発泡酒
 
 ヒロ吉の駐車場を借りて、ゆーい夫妻の家へ行く。入ってまず驚いたのは、でっかい冷蔵庫が新調されていた事だった。
「買ったのか?」
「うん♪」
「なんぼよ?」
「18万♪ もうひとついいものがあるヨ♪」
 指されたテレビの横を見ると、DVDレコーダーが。
「どこにそんな金があるんだ!?」
「冷蔵庫のポイント♪ 20%ぉ♪」
 あたしゃ驚いたね、ブルジョアだね。障害者年金てのはそんなに出るものなのかね。ちなみにゆーいは第一級、嫁の等級は判らないが片足が一本ない。なんとかジストロフィーという難病で足を切断したのだ。その病の苦痛は凄まじく、彼女曰く「熱いフライパンの上で踊らされるくらいの焼けるような痛み」だとか。中世の拷問なみさ。その痛みを鎮める為に大量に投与されたモルヒネの副作用や、またその苦痛によって彼女の精神は時折不安定なのだが、その日は極めて安定していた。おれは思ったね。「18万の冷蔵庫で夫婦円満なら安いモンだ」とね。
 ヒロ吉は、DELLのPCを新調して、いま使っているハイスッペックノートPCをゆーいにくれてやるつもりだったのだが、このまばゆい生活空間を目の当たりにしてその考えは吹っ飛んだことだろう。
 毎日遅くまで残業し、四畳半で寝起きをして、25000円ほどのバイオリンベースをおれに借りる始末。
 おれの冷蔵庫は、どこのメーカーかも判らないニーキュッパのヤツで、テレビなんかは1989年製だぜ。DVDレコーダー? なにそれ、美味しいの? やってらんないよね!? しかもゆーいは、今度はでっかいプラズマテレビを買うってさ! それに付加したポイントで、今度はなにを買うんだろうネ! ぼくは大人のおもちゃがイイと思うよ! 本物の真珠が入ったヤツさ! hahaha!
…コホン、まあでも、福祉国家万歳! であります。不透明な税金の遣い道には疑問があるが、こうして身近な人を見ると、まんざらでもないな、って思うんだな。
 だって彼らは、この冷蔵庫を買うために四年間も生活を切りつめていたんだから。ローンなんか組める訳がない。爪に火を灯しながらコツコツ貯めていたのさ。彼らにだって冷蔵庫を新調する権利はあるだろう? おれはこれからも真面目に税金を納めることだろう。
 
 実家の鍵を開けたのは午前三時だったかな。床についたのは四時で、七時に叩き起こされた。
「わたし病院で検査あるから、あんた、車で帰るならついでに乗せてけ」
「…おれはまだ酒臭いだろ? 二日酔いでも飲酒検問には引っかかるんだ」
「こんな朝に検問なんかないでしょ」
「……」
 寝ぼけ眼でヒロ吉の家の前にある駐車場へ車を取りに行く。カーテンが閉まっていて、ヒロ吉はスヤスヤ眠っている様子だった。窓を小石でガンガン叩いてやろうかと思ったが、勘弁しといたろ。
 
 病院までの道中。
「見舞金、どんくらいになった?」
「ぐふふふ」
「な、なんぼ?」
「50万」
「エーッ!」
「ほら、職場が近いから、みんな来るのよ」
「でも半分はお返しするんだろ?」
「そうね」
「って事は、だれそれが幾ら、とかメモってんの?」
「ぐふふふ。もちろん“区別”はするわ」
「したたかだな」
「平等じゃない方が失礼よ」
「で、休んだ分の給料とかどうなるの?」
「ぐふふふ」
「おい…まさか」
「全額出るのよ」
「エーッ! 凄いな…市立病院てのはさ」
「そうね」
「長い物に巻かれろ、って事だな」
「そう。じゃないと、女手一つで三人を育てるのは無理だったわ」
「……」
 
 寝癖のついた母は、元気そうに病院の門をくぐっていった。
 おれも幾らか福祉の恩恵を得て、大きくなった。だから税金は滞納すまいと思う。その遣い道が不明でもさ。義務なんだ、と人より強く思ってしまう従順なわたくしなのです。