連休って素晴らしい、のかな?

 
 お久しぶりです。もやし人間ですこです。38円也。
 ゴールデン・ウィーク、みなさまはどういう風に過ごしましたか。わたしはといえば、五連休ではなかったので、いや五連休だったとしても酒浸りの日々だったでしょう。
 まとめて書くので長いです。ごめんなさい。
 
 
 三日、ヒロ吉と呑みに行く。まずは世界の山ちゃんへ。以前までは『マボロシ』だった手羽先も、怒濤の四店舗目進出で予約をしなくともすんなり入れるようになった。
 店舗は全てすぐ近所にあり、ポイントによれば全店舗の看板が見渡せるという、異様な光景である。これが名古屋流なのだろうか。
 もうオーダーするメニューは固定された感がある。手羽先、揚げチヂミ、ほうれん草サラダの三種、これ以外は要らない。
 安スナックへ行く。おれのジーパンのボタンが外れている事に気づいたホステス(?)が、指先でおれの股間を何度もつついた。おれはドスケベだが照れ屋なのである。
 ホステスは「タマに当たっちゃったー」と言っていたが、実はダンゴ虫のように丸まった陰茎だったことは、黙っておく事にした。
 数時間居座って帰り際、ホステスが自らの権力で《焼酎無料券》をくれた。おれはとても儲けたような気がしたが、ヒロ吉は炯眼の持ち主だった。
「飲み放題なんだから、タダ券なんて意味ないじゃん」
 そ、その通りダ! だるまで〆る。旨し、だるま旨し!
 
 
 四日、昼過ぎに起きる。36歳の旧型バイクをいじる。一冬の間にオイルが全て漏れていた。ドレーンボルトがイカレテしまったのだ。それというのも、オイル交換の際に間違って締め付けてネジ山をバカにしてしまったおれがバカな所為である。
 旧車ゆえパーツがあるはずもなく、スプリングワッシャーを咬ましたのだが、やはりパッキンがダメなようだ。デフォルトのパッキンは鉄製だったが、銅製じゃないとダメだろうな。銅は柔らかいので、潰れて隙間を埋めてくれるはずだと思うのだが、どうかしら?
 諦めて部屋に戻り、Amazonで買ったDVDをむさぼり観る。「Legends of Jazz Guitar」Vol.1〜3である。ブルースにおける「American Folk Blues Festival」と同じ位置づけの貴重なオムニバス映像だ。手元がアップで写るのだが、Joe Passのギターにホコリがてんこ盛りだったのがショックだった。みんな想像以上にアグレッシブな演奏していた。もうノリノリである。しかもバカみたいに巧い。カッコイイぜ、Jazz!
 夜、希代のリアルタイム連載小説ササイのことで思い出した(※pdfです)を再読する。足かけ一年、もの凄い物量である。著者のGISM氏は天才なんですってば奥さん。
 
 
 五日、朝に目を覚まし山田風太郎の「人間臨終図巻」を読み耽る。どんな本かというと、著名人や偉人を没年齢ごとに並べた膨大な資料で、著者の冷徹ともいえる視点が面白い。人物は紀元前から現代まで及ぶので全三巻になるのは当然だが、意地悪な事に索引は三巻目の巻末にしか記されていない。つまり「全部買えや」って事だ。
 最も印象的だったのは「斎藤茂吉」と「北大路魯山人」だった。両人とも巨人として認知されているが、共に《粗チン》であった事が伺える記述だったのだ。
 茂吉が短歌を好んだのはその陰茎の短さを嘆くが故、魯山人が美食を好んだのはその粗末な陰茎を巨大化する為…なーんて空想すると楽しいネ!(怒られるぞ)
 夕方、急遽京極町から友人が来るとのことで、呑みに出掛ける。おれはあまりあそこには行きたくなかったが、マボロシノテバサキの話をすると異様に興味を示したので、まーた山ちゃんに行く事に。
 2号店が一番居心地がよい。受付の店員が一昨日と同じ人だったので、なんだか照れ臭かった。「また来たの?」みたいな顔だった。おれは相当な『山ちゃんフリーク』だと思われているに違いないが、そんなことはない。ちなみに、三階右のテーブル席が一番、居心地良いです(フリークじゃねーか)。
 ガブガブ呑んで(二人で20杯)、馴染みのBarへ行くとフランス人留学生が居た。彼曰く「このお店は第二の大学デス」。流暢な日本語でもって白人社会の民族の多様さを懇々と聞かされる。民俗学専攻のようで、アイヌについて尋ねると抜群の知識を持っている事が判った。故・安東ウメ子の肉声を、彼は聞いていたのだった。文献を読み漁り足を使う、紛れもない学者だった。3時まで呑む。呑みすぎて、ちょっとだけやらかしてしまう。ごめんなさい。
 そう、亀田戦はすっかり見逃してしまった。どうでもいいけどさ。
 
 
 6日、残念な事に仕事。当然、烈しい二日酔い。出勤前にブレスケアを舐めるも、まったく効果なし。仕事は午前中で終わる。そりゃそうだろう。いっそ休みにして欲しかった。
 帰宅後、先の本の続きを読み耽る。眠くなったら数十分寝て、起きたらまた数十分読む、その繰り返し。朝までずっとそのリズム。雀の声で目が覚めて、また本を読み、また眠る。なんたる幸福感、気分は縄文人。お腹が空いたら柿の種。柿の種は完全栄養食だと思う。
 奇しくも亀田製菓であった。
 
 
 7日、夜通し寝起きしながら三巻読破する。読書家から見れば大した量ではないだろうが、今日はもう本を読みたくない心境。
 久し振りにCubaseを立ち上げ、色々と思案してみる。横尾忠則の絵ではないが、音楽にもまた風通しの良い空間は必要で、且つ綿密な展開も必要なのだ。それを操るのは指揮者ではなく、黒幕が望ましい。自分を忘れる事、それが音楽の醍醐味なのかも知れない。音楽に限らず、なのかも知れない。
 
 山田風太郎が記した言葉は印象的だった。
・同じ夜に何千人死のうと、人はただひとり死んでゆく。
・最愛の人が死んだ日にも、人は晩飯を喰う。
・幸福の姿は一つだが、不幸のかたちはさまざまだ、とトルストイはいった。同じように、人は、生まれてくる姿は一つだが、死んでゆくかたちはさまざまである。

 
 おれはこの本を、数ヶ月後のお盆に読み返すだろう。
 
 
 さて、明日からまた仕事ですね。
 死者は、死人のようなおれの頬を叩くけど、おれはいっこうに目が覚めないみたいだ。