煮詰まったっ血

 
 世界の終わりに、んちゃ! ですこです。
 ぼくやきみが自殺したって世界は変わりはしない。無論、生きていたってほとんど変わらないけれど。
 ぼくは、世界は集合写真みたいに「ハイチーズ、パシャ!」で終わればいいと思っている。
 笑っている奴や泣いてる奴、白目の奴やブレている奴、端で切れている奴や当日休んだ奴etc.
 閃光のあとは真っ黒な炭になり果てる(元素記号のCという意味で)。もはや地球に生命体はなにひとつ無い。
 だが科学者たちは世界の終わりを予見していた――もう一つ地球を作るのだ。
 極めて生命力の強い植物の種をロケットに詰め込んで(シダ類、カビ等)、別の星にぶち込む。たっぶりと種が仕込まれたロケットという名のちんこと、どこかの処女星が性交する。
 そうして何十億年かけて、我々地球の子孫が誕生する。
 
 単細胞のゾウリムシは細胞分裂で増殖するが、じつは性交をする。もちろん子孫を残す為ではなく、明らかに戯れる。へたしたら同性愛かもしれないし、オーラスセックスかもしれない。なにより植物はたぶん、スワッピングをしている。
 戯れによって我々は進化を遂げたのかもしれない。
エイズは同性愛者への罰である」というのは、詭弁である。
 穴という穴を駆使し、性別を超越することで見えた風景は、デジャビュである。
 
 関係ないけれど、もしいま、貴方の鼻の穴に鼻糞があるのなら取り出して欲しい(できれば湿っているタイプの方がよい)。あなたに家族がいるのなら、全員を集めて欲しい。
 そしてその鼻糞を灰皿の縁に載せて、ライターで燃やしてみて欲しい。
 するとどうだろう、ほとんど火葬場みたいなにおいがするでしょ?(そんな豆知識いらないから)
 
 
 母の同級生が自費出版で本を出した。値段は書かれていない、無料だ。
 内容はといえば、昔は石狩にも油田があったそうで、その話が大半なのだが点在する写真の中で幼き日の叔母が写っていた。
 解像度の低い白黒、おかっぱ、鼻の下のカピカピ、絵に描いたような戦後のヒトコマに、ぼくは笑ってしまった。
 
 そこでふと思い立った。
 
 叔母は函館在住でその息子、つまりぼくのいとこには「J」という同い年の男がいる。叔母の家庭はぼくの血統の中でも唯一のインテリで、長男であるJは小さい頃から厳しく躾をされていた。
 まだ小学生のJがウチに遊びに来た時、漫画を読んでいるぼくをよそにJはひたすらNHKを凝視していた。同い年ながらも「かわいくないヤツ…」と思ったものだ。
 ぼくもたまに泊まりがけで函館に遊びに行ったが、躾の厳しさに辟易し、ストレスでよく下痢になった思い出がある。
 そのクセ叔母は人目をはばからず「バッフゥー」と屁を垂れる。その子供たちも普通に屁を垂れやがるその放屁の合唱に、ぼくはカルチャーショックを覚えた――「い、田舎ダ!」
 叔父はといえば、我々親戚連中の風呂上がりを素っ裸でチン列させ、それぞれのちんこの大きさで順位を決めるという、極めて下品なショーを開催していた。ちなみにぼくは、4人中4位だった。
 つまり、叔母の家庭は元来インテリなのではなく、「せめて息子たちは!」というオーラを発散しているのだった。種の階段、とでも言おうか。
 どんなに澄ましても露出しちまうんだよ、出ちゃうのよ。屁みたいにさ。
 
 それから約十年後、Jは久し振りに札幌へやって来た。大学を卒業して就職活動で北海道新聞の面接を受けるためだ。
 その頃ぼくは、三歳年上の女性と同棲をしていた。さほど懇ろでもないJと母が数日同じ屋根の下で暮らす事を不憫に思ったので、ぼくは実家へ行く事にした。
 その時にJと何を話したのかは、全く憶えていない。
 憶えているのは、Jが来てから三日目くらいの時に、彼女を連れて実家へ向かう道中、市道の反対側でJが逆行していた時だった。ぼくは、もうJは函館に帰ったものだと思っていた。
「やばい、Jだ!」ぼくは彼女の腕を引いて身を隠した。
 だがJは明らかにぼくらを発見していた。バッグを背負い直して、坂を登っていった。
 ぼくはその時、得も言われぬ羞恥心と罪悪感を覚えたのだった。
 
 残念ながら、Jは面接に落ちた。
 聞けば、いまはライターをやっているらしい。NHK好きの新聞社志望である、当然かもしれないが、一途だよな。
 
 そこでふと思い立った――「Jの本名でググってみよう」
 
 さもありなん、Jの名は一番上にあった。しかも函館在住とある、間違いない。
 自分のサイトを持っており、これまでや現在の仕事なんかも事細かく書いてある。ぐふふふ、みつけちゃったよ、いとこのですこちゃんはよ!
 職業ライターの弊害は、本名でアピールしなきゃなんない事だからね。でも彼は、まさかぼくが発見したとは思わないだろうよ。ぐふふふ。
 函館を中心に、北海道中を飛び回っているようだ。寄稿の内容は、お店や宿、福祉や市民活動など、広報と「じゃらん」を行き来しているような様子だった。いかにも彼らしい。
 だがそこはですこ血、自己紹介には「なんでも書きますが批判精神を大切に〜」なんて書いてやがる。血は争えんな。
 ぼくの祖父と彼の祖父は“兄弟”なのだ。わかるかな? 任侠的な意味じゃない。“そのまんま”なんだ。濃いぜ、ウチは。
 母はその地域を「集落」と呼んでいたが、なんのことはない、本州で云う「部落」だろうよ。
 
 そんな彼を昨夜に発見して、ぼくはやっぱり羞恥心を感じてしまった。
 頑張ってるな、やつは。こんどは堂々とすれ違ってみたい。
 鬱屈してる場合じゃないぜ、おれよ!