IT考

 
 最近「おまえの日記、長すぎる」とお叱りを受けた、ですこです。今日も長いです。つーか、そもそも日記じゃないし。じゃあなに? って、知るかいっ!(逆ギレ)
 ちゃんと読んでいるだろうと思われる、教室一個分の諸君へ日々発信しております。
 
 ふっるーい友人(というかもはや知人)から電話がかかってきまして、タイミングが悪くあまり話せなくて、夜にかけ直したら今度は向こうの都合が悪くて、でまたかかってきたんですけど、いっつも昼間にかかってくるんだな。
 普通、休日の昼間に電話ってします?>中年男性諸君。早くとも17時以降にかけませんか? で、かかってきても出るのがなんかイヤじゃない? え? そんな事ない? ふーん…あっそ!(逆ギレ)
 まあこの話は追い追いするとして(面白くなりそうです)、風の噂を聞けば彼は現在「IT業界」で働いているという。ぼくの頭の中では、彼とIT業界がどうも合致し難い。と言ってもぼく自身、IT企業が具体的にどうやって口に糊しているのかよく判らないし、なにより“IT”を「Internet Technology」の略語だと思っていたクチだ。情報技術という意味ではあながち間違いでもないと思うがね! オウオウオウオウオットセイエキス!(逆ギレ)
 彼がプログラマシステムエンジニアになれるはずがないので、“IT”なるモノを調べていると、2ちゃんねるこのスレに辿り着いた。同時にこんなブログにも辿り着いた(2005/04/09の軍曹の話 前/後)。
 読める範囲は全部読んで、正直、引いた。
 全てが事実とは考えにくいが、少なくとも50%以上はマジっぽいのだった。タコ部屋、マグロ漁船、デスマーチetc.。そして最悪は、主人の不在。
 なるほど、よく聞く「IT業界には鬱が多い」というのも頷ける内容だった。
 
 そう考えると、彼からの電話はなんらかのSOSだったのかも知れない(じゃあ電話に出ろや)。
 こうしよう。
 彼を家に呼び、ぼくがインタビュアーとなってIT業界の実情及び生の声をネットラジオで配信する――いや、面倒くさいのでよそう(こらおっさん)。
 
 だが、こうも思う。隣の芝生は青く見える、それだけの事なのかも知れない。
 ぼくを含め、ITの事をよく知らない人は「お仕事はなにをされているのですか?」「ITです」と答えられると、「くぅーっ! カッチョイーッ!」と目がハートさ。
 で、「実情は悲惨だ!」と反論するだろう。
 けれど、例えばその人がぼくと同じ幻想を抱いてIT業界に転職してなお働いているのならば「いまだに幻想を保持している」と、つまり「よくわからないプライドに寄りかかっている」と言えないだろうか。
 ぼくは、人がイヤがる仕事をすれば死ぬまで生きられる、と考えているし、仕事とは元来そういうものだ、とも思う。虫みたいにたくましく生きていけるさ(もちろん虫には虫なりの本能があるぜ?)。
 だが彼は「あの業界はやるもんじゃない」と言う。そういいながら、不穏な、得体の知れないイビツな輝きを放つヌラヌラした、台湾ハゲみたいな球体にしがみついている。
 どうもぼくは、彼らの苦労話には釈然としないシコリが残るのだった。彼らがけなす業界のシコリにひっついている、としか思えないのだった。
 
 ボビー・ギレスピー曰わく――「プライドほど邪魔なモノはない」
 
 
 明るいニュースもほぼ日経由で読んだ。
 既存の音楽業界、つまりメジャーに依存しないブロードバンドを利用した音楽配信のゲリラ的席巻は、以前から誰もが思っていた事だろうし、誰かがやるだろうと思っていたことだろうが、トンデモナイ大物が旗を揚げた――丸山茂雄である。
 丸山氏のブログは奇しくもはてな、特に6月に書いている「クリエーター大国」のログは是非とも読み漁って頂きたい。
 脱テレビは脱音楽業界を意味し、強大な資本へ一矢報い、クリエイターへの還元が是正される事を意味する。つまり「売る」のではなく「買わせる」時代の夜明けであります。
 とても書ききれないが、丸山氏には“愛”を感じるのだ。同時にそれは“怒り”でもあるだろうし、長い間その現場にいた後悔の念もあるだろう(おっと、氏はビジネスマンなので身が軽いだけか)。
 ぼくたちが遊んでいるおもちゃは、ぼくたちの伺い知れぬところで誰かに取り上げられたものだったんだ。いつか、そのおもちゃを作った人たちから直接買うことができる。
 
 もちろんぼくはクリエイターではないけれど、単純な原理だってことはわかる。
「常に面白いモノを創るヤツが勝つ」
 それだけの事なのかもしれない。そして、それがとても難しい沙汰だってことも。
 世のクリエイターたちが、名声に見合った相応の報酬を得る日は近いぞ。ソレに今度はITが追従すればいい。それがいい。
 その土俵が出来上がりつつある。
 
 反面、こうも思う――
 
  真のクリエイターは、既にその土俵には居ないのが常だ