浪費と雑味の重要性
何よりもナイスな、S・Bですこです。
疲労困憊ルエラーであります。
久し振りに湯船にでも浸かろうかと考えましたが、あたしゃ風呂が大嫌いなんです。もちろんシャワーは浴びますが、体を洗うのが億劫で仕方がない。ですからたまに、カーウォッシュの柔らかそうなでっかい回転ブラシなどを見かけると、全裸でうおぉぉぉっ! と、飛び込みたい衝動に駆られます。
洗車場から留置場までの直行便であります。数百円でキレイになって三食昼寝付きですよ、奥さん?
翌朝、会社の上司から携帯へ電話が来る。
「おい、また寝坊か!」
「いえ、うんと前に起床していますし、ヘルシーかつ栄養バランスの良い朝食も頂きました」
「だったらとっとと出社しろ!」
「それに、ひんやりと涼しく快適であります」
「例のごとく冷や汗か。すぐに家を出ろ、バカモン!」
「それが無理なんです」
「…なんか、電波が悪いな? どこにいるんだ?」
「格子縞の健康センターです」
となりましょう(なんねーよ)。
だいたい、湯船に浸かってじっとしている事が耐え難い。暇で死にそうになる。だから古本の店頭ワゴンで買った50円の雑学本などを読みながらでもないと、とてもじゃないけど無理です。不思議なことに、その雑学本は湯船で何度も読んでいるが一向にアタマに入る気配が無い。
反面、面白い小説や優れたエッセイなどの中に描かれているハナクソほどのトリビアは、決して忘れる事がない。物語の所為なのか何なのか。でっかい饅頭にちょっとだけアンコが入っているような。数ヘクタールの畑に、大根が一本だけぽつねんと生えているような。描いた景色と記憶は、さぞかし密接に関係していることでしょう。記憶の、腰の入り方が違うんだ。
だったら、雑学本じゃなくて、小説を湯船で読めばいいでしょ、ですと?
そうすっと翌朝、こうなっちまうんだ――
「おい、また寝坊か!」
「……」
「早く来い、このバカチン!」
「……」
「…もっしもーし?」
「…はい」
「なんか、声がくぐもってるな?」
「……」
「お前、いまどこに居るんだ?」
「夢の中です」