Last.fm 考
十八番は放り投げ、アンコ型ですこでごわす。
相変わらず暇さえあればLast.fmにうぷするべくCDを聴いているんですが、正直、飽きてきました(もうかよ)。つい先日「おざなりにしてきたCDを聞き返すよい機会だ」なんて能書きを垂れましたが、新しい発見なんかほとんど無いですし、あるわけがありません。ぼくがそのCDを撥ねたのには明確な理由があった、という事の再確認に過ぎませんでした。反面、好きな曲は開始5秒で脳内にドーパミンがジュンジュワーッ! と溢れ出てくるのでした。
ポップミュージックにおけるぼくの独断の持論ですが、「名曲はAメロから名曲である」という事です。一音目でプ〜ンと名曲のにほひとかほりが漂ってくるのです。「こりゃ美味そうダ!」と思わせる何かが、出会い頭からあるものです。
確か、だいぶ昔に村上龍が言っていた事だと思いますが、「ポップミュージックの本質はラジオのボリュームを上げた瞬間である」とおっしゃっていましたが、ぼくはとても共感しました。
当時ぼくは21歳、クソ狭い部屋で女の子と同棲生活をしていました。それはそれは貧乏で、愉しみと云えばセックスとラジオだけでした。
ある時、FMラジオからThe Cardigansの「Carnival」という曲が流れて、腕枕をしていた女の子を放り投げ、ラジオのボリュームを上げてスピーカーに張り付きました――なんていい曲なんだろう!
その足でCD屋に行きましたが、アーティスト名はおろか曲名もわかりません。ですから店員に「さっきラジオでかかっていたヤツです」と告げると、店員同士でヒソヒソと相談を始めて一枚のCDを差し出してくれました。
ジャケを見ればなんとなくそれっぽかったので、なけなしの金で買ってすぐさま帰宅し、迎え入れてくれた女の子を再度放り投げてステレオに張り付いて正座で再生ボタンを押すと、あの曲だった。興奮した。
女の子の機嫌はすこぶる悪かったので甘いモノをあげたら(確かアポロチョコ)、直った。
ぼくにとって、最後のラジオの想い出は、先に挙げた曲であります(アルバムタイトルは奇しくも「LIFE」)。
その後、CATVが普及してラジオの代わりにMTVが台頭することになる。その頃になるとネットも普及していたので、あのようなアナログチックなドラマや、女の子を放り投げることもなくなった。
Last.fmの最大の魅力は「パーソナル・ラジオ」にある。
個々で好みの曲を構築して、自分もちろん、それを第三者が聴けるというスンバラシイ機能だ。そこにはプロモーションや圧力はない。純粋に好きな音楽を広め、また探す事ができる。
文字通り、最後のラジオ、ラジオの最終形であります。どうですか、奥さん!
つまりぼくは、やはり名曲で固めておかねばならない。じゃないと、いつ訪れるとも知らないリスナーに対して申し訳が立たないではないか。撥ねて撥ねて撥ねまくるゾ!
同時に見ず知らずのLast.fmユーザーにも名曲だらけで挑んで頂きたい。
ぼくはいつだって新しい音楽に出会いたいと思っている。だからLast.fmにはとても期待している。あの頃みたいな感動が、またあるかも知れないのだ。
放り投げる女の子がいればもっといいんだけど(うわー)。