現世利益と他力本願

 
 とにかくイッパツやりたいですこです。教祖のあとでもいいから、とにかく! イッパツ! いや二発!
 
 日曜日の午後、洗濯機を回しながらまったりと読書をしていると、携帯電話が鳴った。滅多に鳴らない上に、機種変してから着信音が変わったので、一瞬なんの音か判らなかった。
 日曜の夕方である。「生きてるかい?」と身内からの電話に違いないと思ったものの、架電してきた人間を予測して、その通り液晶画面には彼の名があった。不思議なもので、同じ着信音なのに、掛けてきた相手が好ましくないと想像すると、その音色は心なしか陰鬱なトーンを放つ。
 D樹からであった。ここのところ毎週掛かってくるのだが、ぼくは出ない事にしている。非道い? まぁ待て、出ないのには理由があるんだ。
 
 D樹とは幼なじみで、以前の日記に書いた事がある。書いたままの男だ。
 二ヶ月くらい前だろうか、日曜日の昼間に見知らぬ番号から着信があった。
「はい、もしもし」
「あのぅ……」
「はい?」
「わ…わかる?」
 野太い声である。その割には腰が低い。
「だれよ?」
「ははは……D樹です。憶えてるかな?」
「おぉー! D樹か!」
 と声を高くしてみたものの、同時に懸念した。まさかぼくのブログを読んだんじゃないだろうな? なにより、なぜぼくの番号を知っている?
「よく電話番号が判ったな?」
「うん。お母さんに訊いたの」
 のろい口調に野太い声も相まって、ぼくは少し不安になった。
「いま仕事中だから、帰宅したら掛け直すよ」
「あ、ごめんね。うん、わかった」
 
 帰宅後、電話を掛けた。D樹にではなく、実家にだ。
「D樹から電話が来たんだが…」
「あー、こないだウチに来たから番号を教えといたわよ」
「おばさんと二人で来たの?」
「ううん、Dちゃん一人で」
 D樹は一体どういうつもりで一人でぼくの実家に出向いたのだろう? 怪しい、すこぶる怪しい。母は用心深い人で、教えるべき人にすらぼくの電話番号を告げないのに、D樹には即座に教えたようだ。
「教えるのは構わないんだけど、なんか様子がヘンじゃない?」
「うふふふ」
「うふふじゃねーよ」
「ですこを青年部に入れたいんだって」
 すぐに合点した。そうか、そっちか。
「だから言っておいたわよ」
「なんて?」
「あの子は絶対に入らないわよ、って」
「で、どういう反応だった?」
「申し訳なさそうに頭を掻いていたわ」
 D樹の“ねらい”は“折伏”であった。疎遠だった幼なじみからの連絡は、嬉しい反面疑いもある。ぼくは落胆した。そうか、そういう事か――。
 
 ぼくはD樹との再会を愉しみにしていたが、こうした生粋の邪念が介在してくると、話は全く別なモノになる。昔話はおろか、現在の話もできず、果ては眼が宙に浮いたままの理論をこんこんと聞かされるハメになるだろう。
 以前、マルチ商法にハマった人間に和風レストラン《とんでん》で蟹の甲羅についての御高説を数時間も聞かされた経験があるが(オレンヂジュース一杯で!)、D樹の場合はおそらくキトサン酵母よりも説得力がない事は明白である。
 べつにD樹の信仰についてとやかく言うつもりはないが、わざわざぼくを誘わないで欲しい。そしてなにより幼き日のぼくは、無意識の世襲ながらもD樹と同じ信仰していた。だからぼくはソレがどんなものかよく知っている。だが、とある有名な事件以降、我々一家は脱会したのだ。その後の信者による仕打ちはなかなかのものだったがね。
 
 ぼくは十代の終わりに精神世界にのめり込んだ。宗教というよりも、単に精神世界に興味があった。それは音楽家によるドラッグ体験から始まり、「苦行僧が何十年掛けて開いた悟りと、LSDによって得た悟りは同等である」と、ティモシー・リアリー澁澤龍彦の言葉に酷く感銘を覚えた。マリワナに傾倒し、ラム・ダスやオルダス・ハックスレーコリン・ウィルソンの著作を読み漁った。だがぼくが望んでいた“悟り”はどこにもなかった。どれもが胡散臭かった。
 それに比べると、中島らもはとてもリアリティがあった。「ドラッグは、子供がバットを柄の先を額につけてクルクル遊びをするのと同じである」とか、「おれの体は遊園地だ」などと宣って、なるほどな、と感心した。無論、著作ありきだが。
 いまでも真理だと思うのが、故・遠藤誠翁が言った台詞で「一円でもカネを取ったのなら、その全ては邪教である」という言葉だ。沁みたなぁ。実際彼は、時に無償で弁護士活動をしていたのだから。でも「カネが有る所からは取る」と宣言してたし。かっこいいなぁ。
 
 そんなわけで、本来はブログでは宗教と政治については書くべきじゃないのだが、たまにはいいだろう。おかしな事は言っていないと思う。近いうちにD樹と遭う事になるだろう――15年振りの再会、一体どうなるのか?
 
 神のみぞ知るところである。