いじめ、かっこわるいよ!

 
 ケツに銀杏、ですこです。痔持ちの風邪が長引くとさ、なるんだよ、出てくるんだよ、ソフト・ピーナッツがよ。
 
 最近、果物にハマっている。と言っても梨か林檎だが、梨の季節が終わったとしたら、たぶん林檎しか食べないのだろう。
 果物を自分で剥いて食べたのは数年振りで、それまでは実家に行った際に食べるか、もしくはビニール肌で口が「Oの字」のオランダ人女性が剥いてくれるという(それとて果物の皮ではないが)幻覚を視て以来だ。
 ぼくはチョコレートも果物もあまり食べないが、両者は、一度食べるとクセになるところがよく似ている。現代、チョコレート中毒者を探し当てるのが容易なように(←洒落じゃないぜ)、フルーツ中毒者を捜し当てる事もまた然り。
 チョコレートは世界最高のソフト・ドラッグであり、フルーツは世界最高の安心材料である。それらが合体した製品なんかは、もはや核爆弾と同じくらい、興奮と安堵をもたらす。
 以前に「死なない木は凄い」と書いたし、いまでもそう思っている。一年草の儚さと、カブトムシが越冬できない悲しさはよく似ている。木が生きるように、鳥も生きる。同じく飛ぶ昆虫とはちがって、鳥は大陸を渡って越冬する。
 ぼくは最近、炭水化物を断っていて、毎日「鶏の胸肉」を食べていた。胸肉には、皮を除いて脂肪がほとんど無い。つまり、筋肉だ。それをイヤというほど味わって、疑問に思った。
 飛行するためには胸部よりも背筋を発達させなければならない、というのは幻想だったのだろうか。ニワトリが飛べない鳥だとしても、鳩を見ればなるほど、鳩胸だ。
 つまり、開く力よりも、閉じる力で彼らは飛んでいるのではないだろうか。もっと言えば、我々人間たちが異性に対して性別を問わず《胸に惹かれるの》は、どこかにいざなってくれるという想いが、DNAのどこかに刷り込まれているからなのでないか。
 飛べない種類は、飛べる胸肉に似た発達した胸に埋もれて飛行する夢を視たいのではないか。そんな風に、胸肉100g=58円のバーコードを視ながら想う日々であります。
 
 話をチョコと果物に戻そう。
 元来、直物は神懸かり的な工夫でもって種を繁栄させてきた訳ですが、マメ科のプロペラや、たんぽぽのパラシュートや、キノコがこっそり散布する胞子よりも、果物の種の方がより狡猾でボヘミアンなわけです。彼らは、胃酸で溶けない種を嚥下させる為にわざわざ甘くなっているのです。しかも栄養があるんですよ。なんてイヤなヤツら。
 果物はそうして繁栄したけれど、チョコレートの原料であるカカオは苦かった。珈琲が広まった所以は「豆を食べた牛が荒れ狂ったのを目撃した牛飼いが好奇心で食べた」のが最初ですが、おそらくはカカオも同じでしょう。
 カカオは、最初っから、砂糖と混ぜられることを知っていたのです。だから苦かったんですよ。
 我々の「おいしい」はすべて、彼らの思う壺なのです。
 
 地球を大切に。
 直物みたいに狡猾になって、いざという時は毒で一矢報いようぜ。
 その前に、種の共存をしなきゃな。
 
 
 宇宙のですこより