ボンボヤージ

 
 早い時間から発泡酒を呑みながらブログを書いていると、電話が鳴った。
 会ったことのない電話の主は、「会ったことがない人を迎えに行け」と仰った。 
 寝耳に水というかミミズというか、瞼にタイガーバームというかなんというか、でっかいクエスチョンマークを逆さにして首吊り自殺というかなんというか。
「……はい?」
「東京からYが来る。余は急な仕事が入って行くことができないので、そちが行け」
「いまですか?」
「3時間後じゃ。駅東口に22:37到着であるガチャ」
「ツーツーツー」
 むちゃくちゃである。爆弾野郎である。
 断る理由もないし、はるばる急に呼び出されたY嬢を無下にできるはずもなく、なにより一度会っておかなければならない人だった。
 飲みかけの発泡酒と、もう一本呑みつつブログ執筆。尻切れトンボのままUPして、着替えていざ出発。
 地下鉄南北線に乗るのは何年振りだろう? 人を駅に迎えに行くなんて何年振りだろう?
 15分前に到着し、改札前のベンチで待つ。ぞろぞろと人が出てくる中、容姿、とくに身長を知っていたのが大きかったのだが、ひときわ目立つY嬢を発見。ぼくの想像では改札口で手を振って「ヤァヤァ」という対面を想っていたのだが、Y嬢は異様な速さでスタスタと駅の出口へ向かう。小走りで追いかけて、ホシを尾行していたデカよろしく背後から「Yさんですね?」と声を掛ける。驚いた様子のY嬢は「ですちゃん?」と言った。“さん”ではなく、“ちゃん”であり、しかも略されている。出会った瞬間に、力関係が決定されていた。
 Y嬢をホテルまで案内して、T先生に電話をする。
「お店はどこがよろしいでしょうか?」
「向かいに時計台があり、その地下に店がある。そこに行くがよい」
 駅の北口はビジネス街であり、23時ともなると閉まっている店が多い。案の定シャッターが降りていた。再度電話をする。
「シャッターが閉まっております」
「ではそのまま北上するがよい。さすれば焼鳥屋があるだろう」
 お江戸でござるのセットみたいな入り口の、小汚いチープな焼鳥屋があった。おそるおそる引き戸を開けると、店内は意外と広かった。
「何時までやってます?」
「うーん、1時かなぁ」
 とても感じの良い店員だった。いい店だ。奥の小上がりに陣取り、乾杯。
 Y嬢と初対面だとは思えないのは、メールやチャット、そして午前5時の電話もあるだろうが、なによりもY嬢の人柄だと思えた。
 長身の細身で美人で聡明かつ気さく、神はいったい彼女に何ブツを与えたのだろうか、頭がクラクラするくらいのイイ女だった。それでもぼくが萎縮せずに済んだのは、彼女の人柄、気遣いのお陰だろう。そうそう、強いてウィークポイントを挙げるのならば、おっぱ(ry
 ササイおよびT先生の話題で盛り上がる。初対面でも共通の話題が、それも深い理解があればこそ話は弥が上にも弾み、脱線して、濃ゆい泥沼トークまで発展するのだった。
 途中、何度かT先生に電話をする。
「まだ来られないのですか?」
「まだである。Yに替われ」
 ぼくの携帯電話で話を終えたY嬢が、返す前に受話器を拭いたのが印象的だった。イイ女だナ、と思った。
 しばらく経った24:00過ぎ、しびれを切らしたY嬢がT先生に電話をする。諭すY嬢はなかなか迫力があり、『この人はSMの女王に転職すれば月給100万超は間違いない』と思わせる人だった。もうすぐ到着とのことで、緊張が奔る。
 
 小上がりの入り口から顔をちょこんとだして「よう」と、T先生、御光臨。
 
 黒ずくめだが、キュートだった。だが声はドスが効いていてアンバランスに思えた。
 簡単な挨拶が終わると、突然Y嬢と仕事の話を始めた。Y嬢は、札幌のD社の仕事の件で呼び出されたようだった。D社はT先生がかつて勤めていた会社で、かつての部下に駄目だしをされた事が我慢ならなく、Y嬢がいかにできる人間かを証明する為、そして東京と札幌がいかに近いかを体感させる為に呼びつけたのだろうと思われた。
 T先生はかなり辛口な歯に衣を着せぬ物言いで、Y嬢はそれをとても素直に受け止めていて、やっぱりイイ女だった。ぼくはと云えばおまけのようなもので、やたら横文字が多いお二人の話を聞きながら《おいおい、これがクリエイター同士の会話ってヤツか。イカスぜ!》などと、文字通り他人事だった。素人ながらも確信した事は、この業界はメンツを重んじるという事だった。
 その後、Y嬢のプライベートな話を聞いて、ますますイイ女だなと思った。同時になにか不可解な、他人には理解できなく踏み込んじゃいけない領域も垣間見えた。Y嬢の独白にどうしようもない人間らしさを感じて、ぼくはどうしようもないくらい嬉しくなった。
 急な仕事でお疲れだったのだろうか、それとも酒を呑みながらお仕事をされていたのだろうか、おそらくはその両方だと思われるT先生は、眠ってしまった。
 
 
 
 すると、ムクッと起きて「もう一杯呑むか」と仰った。小上がりのテーブル上には座布団が積み上げられていて、それは閉店を意味していた。
「構うことはない。すいませーん!」
 T先生はウヰスキーダブル、Y嬢は烏龍茶、ぼくはビール。
「あとお会計!」とT先生は仰った。
「カード使えんの?」
「ええ、使えます」
「じゃ、カードで」
 T先生は、金を払うために来たのだった。
 ちなみにぼくは、焼き鳥屋でカードを使った人を初めて見た。“初めてだらけの夜”だった。
「おめーら残すんじゃねぇよ。そういうの大っ嫌い」と仰るので、Y嬢と共にキンキンに冷めた焼き鳥をやっつける。カチコチの焼き鳥を頬張ったT先生は「うまいじゃん!」と仰った。なにもかもが、おかしい。
 
 店を出た刹那、T先生はシモネタに反応する桂三枝のようにもんどり打って尻餅をついた。Y嬢と共に抱え起こすと、今度は千鳥足でゴミステーションのネットを足で引っかけてめくった。ぼくが再度ネットを被せて、手を挙げてタクシーを止めると、ドアが開いた瞬間「このタクシーには乗りたくない!」と仰った。止めた手前、乗らない訳にもいかないのでぼくが乗った。Uターンするタクシーから、T先生を介護するY嬢に手を振った。
 そういう風に、怒濤の3時間は終わった。
 
 T先生が嫌ったタクシーは“当たり”だった。ガンガン飛ばしてすぐに着いた。ドアの鍵を開けるとY嬢から電話が鳴った。
「T先生は?」
「タクシーに放り込みました」
「明日、頑張ってね」
「今日はありがとう」
「こちらこそ。君にならできるさ」
「ありがとう」
「またね」
 
 なにもかもが初めてで、なにもかもがタイミングが合った夜だったように思える。というか、T先生の術中に見事にハマってしまっただけのかも知れない。
 なにはともあれ、ありがとうございました。