老い

 
働くおっさん劇場》を見て笑い死んでいるですこです。北海道圏では放送していませんが、みなさん視聴していますか? 見た方がいい。あんな面白いテレビ番組はそうそうありません。
 
 たまに押し入れを整理してみる。洋服はあまり買わない方だが、捨てられない性質なので十年前に買った服とかがわんさか出てくる。引き出しの中で畳まれていた白のサテンパンツの折り目がヤニで黄色く焼けていた。サイズは29インチ、数年前まではコイツにベルトを掛けて履いていたのだった。試しに履いてみたが、履き切れない上に脱ぐのに時間が掛かった。
 片づけを始めるといつも邪魔をするのが、懐かしい本たちである。クイック・ジャパンの創刊号や、男組や和田ラヂヲの漫画を読み耽る。『ぼのぼの』を探したが見当たらなかった。掻き回したお陰で、余計に散らかってしまった。
 
 番号持ち運びで端末販売台数が急増しているらしい。
 SBの遣り口はいまに始まった事ではないし、興味がない。結局三社を比較しても利用料金には大して違いがなく、買い換えの理由はデザインや企業イメージなのだろうか。
 ぼくも最新型に買い換えて数ヶ月経つが(既に後継機種が出ている!)、無線機能も音楽機能も使っていない。電話とメールとカメラがあればそれでいい。買い換えて一番感動したのは、バッテリーの持ちの良さだった。
 とはいえ、もしぼくが若かったのなら新しい携帯電話に一喜一憂していただろうと思う。ぼくが初めて携帯電話なるものを手にしたのは、たしか24歳くらいの時だったか、友人が「タダだから」と押しかけてきて、パンフを置いていったのがキッカケだった。
 それまでは“持たされていた”ポケベルを使っていた。持たせたのは会社ではなく、当時の彼女である。まったくウンザリするくらいカタカナのメッセージが来た。「イマドコ?」「オヤスミ」「アイシテル」。返事を怠ると「アイタイ」と言い出すので、電話器にビープ音を当てて速攻返事を送っていた。
 愛情もあったのだろうが、彼女は暇人でもあった。司法書士の娘で、家事手伝いだった。まあ、金持ちの娘である。デカダンな男に母性本能をくすぐられる――というチープな構図だ。
 例えば、毎週日曜日に朝から映画を観に行ってラブホのサービスタイムを享受しきって夜は居酒屋、という一連の流れは、若かりし日のぼくでも耐え難かった。
 もちろん彼女を愛してはいたが、辛い日もあった。それらを縛り付けていたのはにっくきポケベルであった。それさえなければヒラリとかわせられたものを!
 
 携帯電話が席巻しているいまのヤング諸君は、目の下に隈を作っていてさぞかし大変だろうと思う。しかもメールなんかもサクッと出来るから浮気のチャンスも多々あるだろう。チンコの乾く暇もないし、マンコは濡れる暇もないだろう。じゃあなんでチンコは予め湿っているのかって、脂汗に決まってる。
 
 こう考えていくと携帯電話って恐ろしい。『携帯電話がなかった時代はいったいどうしていたのだろう?』なんてのは愚問で、廃棄された携帯電話の山はもはや貝塚に等しいわけで。
 もう、真っ新な余暇なんか無いと思った方がいい。孤独の鬱屈が手軽に、無軌道かつ無差別に放射されて、どこかに着信する。処理しきれないのだ。
 窓に小石をぶつけたり、タンタンと舌打ちで呼んだり、公衆電話から電話をして親に切られたり、そういう“無駄”がなくなった。
 最近のほとんど全ての若者による破廉恥な事件を咎める大人たちがやろうとしている事は、吹き出してしまった粉状の情報をなんとか素手で押さえ込もうとしているとしか思えない。
 もう無理だし、やるべきではない。咳き込んでればいい。いつの時代も、人は人に出会いたくて仕方がないのだ。浅はかな貞淑を気取った大人が謳う矛盾は、無いのである。
 
 若者よ、ぼくも混ぜてくれないか。スナック菓子は用意しておく。